私と家族

最初にタイトルから外れた話をする。
ので、一旦タイトルは忘れて、読んでほしいと思う。

想像してほしい。
一か月後、ある予定があるとする。

あなたはその日に向けて、準備をする。
まずダイエットを始める。食生活にいつもより気を配り、肌や体がベストな状態になるように管理する。揚げ物やお菓子が食べたくても、その日のために我慢する。
美容院に行く日程を決める。その日に一番いい感じになるように、予定日の一週間前くらいにして予約する。

予定の日が近づいて、服や持っていくものを決める。いちばん自分にとって素敵でいいものだけを選ぶ。
予定の当日、しっかりとメイクをして、髪もきれいに整えて、鏡の前で笑顔を作って、家を出る。

…さて、ここまで読んでいただいたあなた。
この人の「予定」とは何だと思いますか。


デート、という答えが一番多いのかな、というのが私の予想。
だって好きな人にはかわいいって思ってもらいたい。言ってほしいから。
分かる。性別にかかわらず誰であっても、好きな人を想って頑張る人はとってつもなく素敵だと思う。かわいくてかっこよくて最強。思わず応援したくなる。


私の「予定」は、実家に帰ること。あるいは、家族に会うこと。

もう一度、先ほどの文章を読んでいただく。ただ、加筆バージョンで。
加筆した部分だけ太字にしてある。


一か月後、ある予定がある。

私はその日に向けて、準備をする。
まずダイエットを始める。食生活にいつもより気を配り、肌や体がベストな状態になるように管理する。揚げ物やお菓子が食べたくても、その日のために我慢する。痩せていることが一番だとは思わない。世間はやっぱり痩せていることをあらゆる方法で肯定するけど、ほんとはその人がその人らしくあれる体型が一番いいと思っている。でも、家族は世間と同じで痩せてたりスタイルがいいと褒めてくれるので、そうする。
美容院に行く日程を決める。その日に一番いい感じになるように、予定日の一週間前くらいにして予約する。派手な色は親が好まない。ハイトーンカラーだと気分が上がるので好きだったけど、暗めの色を選ぶ。抜けたらまた明るい色を入れるつもり。

予定の日が近づいて、服や持っていくものを決める。いちばん自分にとって素敵でいいものだけを選ぶ。部屋着として着る服もきれいなスウェットを選ぶ。スーツケースの中もきれいになるようにする。きれい好きなのはもちろんあるけど、別にジップロックとかで十分かなと思う。でもちゃんとしたスーツケース用の衣装袋に入れてるとよりきれいに映る。しっかりしてるねって言ってもらえる。持っていく服や下着はもれなくちゃんとしてるものだけにする。
予定の当日、しっかりとメイクをして、髪もきれいに整えて、鏡の前で笑顔を作って、家を出る。東京駅から新幹線に乗って、一番近い新幹線の都丸駅に着いたら、在来線に乗り換える。実家の最寄り駅に実際に着く電車よりも一本遅い時刻のものを家族に知らせる。なぜか?トイレに立ち寄って口紅を塗りなおし、表情と身なりと心の最終確認をしてから家族に会うため。


こんな感じ。
私にとって実家に帰るというのは、こんな感じだ。

もちろん、昔実家にいたころはここまでしてなかった。
普通にダラダラしてたし、お菓子も食べてたし、運動なんかしてないし、部屋着は体操服で、もちろん毎日すっぴん、出かける時もちょっとそこまでくらいならダル着で。髪だって何もせずに帽子だけ被る程度で済ませたり。
だって家族だから。身なりなんて別になにも気にしなかった。

なぜなら。

私は勉強さえできればよかったから。
私は3姉妹なのだが、勉強できると誰よりも褒めてもらえた。
3人の中で優先してもらえた。例えば、お菓子を一種類だけ買う時に、他2人の意見は聞かずに私の意見だけを聞いて決めるとか。母にとってはそこまで深い意味はなかったのかもしれない。でも、結構あからさまだった。そういう小さなことが積み重なって、「勉強できると誰よりも認めてもらえるんだ」と思うようになった。

姉はおっちょこちょいで不器用で、いつも親にとっては気がかりな存在のようだった。
妹はその圧倒的可愛さで親をとりこにしていた。
真ん中の私は特に何もなかったように思う。姉が怒られてるのを見て学んだりして怒られない立ち振る舞いを学び、いろいろ器用にできるタイプだったから心配されることも少なかったんだと思う。だから幼少期の私は常に両親に「見られてない」という意識があったんじゃないかと考える。
実際、ホームビデオを見返すと、よく私がカメラを構えている母か父に「私も撮って、」と言っている姿がいくつもあった。

でも中学生になって偏差値により勉強が分かりやすい形で可視化される世界に入ると、特に何もなかった私に「勉強ができる」という看板がついた。すると親が見てくれた。
いつからか気づいたら私は、勉強できる私であって初めて、家族のなかにいさせてもらえるんだと感じるようになっていた。

浪人でてんやわんやあったが、最終的に大学進学が決まって、勉強ができることによって得られる肩書が固定された。それまでは偏差値という動く数字が自分の上に乗っかっていたけど、それがなくなって大学名という不動のものになったことで、勉強は「評価済み」のものになった。
偏差値や学校名に関してあれこれ言われることが嘘のようになくなって、家族が勉強という観点で私をみることは単純にもうなくなったんだと感じた。だってもうそれ自体が変わることがないのだから、それに対する評価も変わらない。

だから状況が変わった。
「勉強ができる私」以外で、自分の価値を認めてもらえないと家族としていさせてもらえないように感じた。
離れて暮らしているから、その評価は実家に帰るときに下される。
SNSで頻繁にやり取りはしないので、次会うまで基本的にその評価は継続される。
つまり、その一回で失敗したら、私は次まで「ダメなやつだと思われてるかも、もう家族に必要とされないかも」という不安に似たものを抱えて生きることになる。
こうして、私は実家に帰るたびに分かりやすい「外見」を作り上げるようになったのだろうと思う。
見せられる中身がないからかも。
中身空っぽの人がブランド物に身を包んで街を歩くのと同じ感覚だ。

評価されに行くのは苦しい。
だから実家に帰るのがいつも苦しくて怖い。

こう考えてみて、気づく。
私はそんな私が嫌いなのだ。
それでしか自分の家族の中の存在価値を見出せない私が嫌いなのだ。
家族が好きだと言えない、そういう私が嫌いだなのだ。
他でもない、自分自身が。

私は経済面も含めて、かなり恵まれた環境で育ったと思う。
お金もあって、塾にも行かせてもらえて、やりたいことは基本やらせてもらえた。昔から休みの日にはいろいろなところに連れて行ってくれたし、大学も私立大学に進むことを反対されなかった。

今も恵まれた環境にいる。実際一人暮らしの家賃は父が払っているし、仕送りもある。贅沢しなければバイトなんてしなくても暮らしていける。

親ガチャで言えば、当たりだ。大当たりかもしれない。

でも私は、家族が好きになれない。
評価されていると感じるけれど、それと同時に大切にされているとも感じる。
愛が何なのかまだはっきりと分からないけど、多分愛されているんだろうと思う。
でも私はそれを感じられなくて、そんな自分が私は心底嫌いだ。
ありがとうと言って私も愛を返せたらいいのにと思う。
でもどうしても、私は両親や家族が好きになれない。

届けられた愛を、まっすぐ受け入れられるって当たり前じゃない。
そのまま受け入れられたら、どんなにいいだろうと思う。
きっとその方が楽で楽しい。

私は家族をなにか「縛り付けるもの」のように感じてしまって、好きになれない、愛せない。

何でこうなったのか、うまく説明できない。気づいたらそうなっていた。

家族が好きじゃないなら、繕って認めてもらって自分の居場所を作る必要はないじゃないかと思うかもしれない。「嫌いですさようなら、もう会いません」と言ってしまえばいい。確かにそうだ。私もそう思う。
でもどうしてだろう。それができない。
もちろん、今まで育ててもらって一緒に過ごしてきたからといういわゆる愛っぽい理由や、まだ養ってもらってる学生という身分だからという現実的な要素もあるかもしれない。
でも多分一番大きいのは、「努力すればもっておける居場所を、手放せるほど強くないから」なんじゃないかと思う。

この先結婚とかせずに、ひとりでも生きていけるな、と思ったりするけど、それでも「完全にひとり」は無理だ。パートナーがいなくても、友人をはじめその他の人間関係があってこその「ひとり」だから、そう「ひとりでも生きていけるかも」と思えるんだと思う。
どこかしらには居場所がないときっと孤独で死んでしまう。
「ひとりでも大丈夫」と思っているからこそ、持っておける居場所は持っておきたいという部分もあるのかもしれない。

最近、部屋の写真を送ってほしいと言われた。
部屋をきれいにしてから、いつもこんな感じだよと言って送った。
自分何してるんだろうとか考えながら、スマホで文字を打った。

いい評価が欲しいからそうするくせに、いざ評価されるときになると怖くて家族からのLINEがしばらく見れなかったりする。

こんなことを繰り返している。

私にとって家族は「特殊な他人」だ。
冷たいと思われるかもしれないが、今の私にとってはこの言葉が一番当てはまる。

これからの就職や結婚とか、あらゆる私のライフステージに、彼らからの評価が下されるように感じ続けるんだろう。
まあ、もううまく付き合っていくしかないんだと思う。

血のつながり、一緒に過ごしてきた圧倒的時間、無償の愛、その他もろもろ、「特殊な」要素を持った「他人」。

私は結婚が正直怖い。
家族を作れる自信がない。愛せる自信がない。子供も同じ。

…何が書きたいのか分からなくなった。

今の私の家族に対する考えの記録といったところだろうか。

もう分からん。

かなり長くなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。また。

大屋千風


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