付き合うという「枠」の役割
ろくな恋愛をしてこなかった。「あの人じゃないと嫌だ」って気持ちを知らなかった。むしろ「男なんてみんな同じだろ」と思っていた。
「好き」って言われたら付き合って、そのうち面倒になって別れて、また次の誰かと付き合う。それが楽で、ずっとそれでいいと思っていたのに、そんな付き合い方が出来なくなった。
「あの人じゃないと嫌だな」
「あの人以外に触られたくないな」
そんな気持ちを知って、改めて「付き合う」って何だろうって考えた。
・・・。
小さい頃、母が言っていた。
「誰にどんな豪華なデートに連れていってもらうより、パパが本を読んでる隣にいる方がずっと良かったの」
って。
それを聞いて、「おいおいマジかよ」って思ってた。「わーいいなー、私もパパみたいな人とそんな恋がしたい♡」とはどうしても思えなかった。
母が言ってたような気持ちになったことがない。5年半一緒にいた元彼のことでさえ、心のどこかで「ほんとにこの人でいいのか」ってずっと思っていた。
男なんて、誰でも同じ。
ちょっと楽しくて、
私のことを少しだけ好きでいてくれて、
寂しさが紛れればいい。
そんな付き合い方を、今までずっと繰り返してた。
でも今はね。
「あの人じゃないと嫌だなー」って、思うんだ。
ご飯を食べてても、
メッセしてても、
誰に誘われても、
「誰でも同じ」とは思えなくなって、「あの人」だけが特別になって、「あの人」の代わりは誰にも出来なくなってしまった。
「誰でもいい」が「あの人じゃないと嫌だなー」になって、最初は「最悪だー!めっちゃしどいじゃねーか!」って思った(笑)。
会いたいのに会えない時は、特にしんどい。
今までならテキトーに気を紛らわすことも出来たのに、今は「あの人じゃないと楽しくないなー」って思うと虚しくて、気を紛らわすことも出来なくなった。
でも付き合ってる訳じゃないから、「どーーーしても今日会いたいの!」とかは言えない(付き合ってても言えないかもしれない・爆)。
はー、何この状況。
めっちゃしんどいじゃんか。
・・・ってなって、分かった。
「付き合う」っていうのは、
「権利」の塊なんだって。
会いたい時に「会いたい!」っていう権利。
それが高確率で叶えられる権利。
この人以外に触らせないっていう権利。
私以外に触らないでねっていう権利。
他の人に触ったら怒っていい権利。
・・・。
「付き合う」っていう関係があることで、それが全て叶えられて、さらに明日も明後日も同じ状態が続く保証まで付いてくる。
そう考えたら「付き合う」ってすごいよ。
法的な力まで加わる「結婚」はもっとすごい。
それともう1つ。
「付き合う」っていうのは、本当に「枠」だなって思う。
今は「あの人じゃないと嫌だな」って思ってるけど、明日も明後日もそうだと思うけど、でも1年後は?って言われると分からない。
他にかっこいい人が現れたら、フラッと行かない自信もない(気が多いから)。
で、そんな自分に罪悪感がある。
・・・気が多くていまいち一途になり切れない自分の本性に、ずっと罪悪感があった。
だから「付き合う」っていう「枠」に入ったら、絶対そこから出ないように、社会的に正しい振る舞いになるように、自分を律し続けないといけない。
これね、当時は全く意識してなかったけど、今思うと相当しんどかったと思うんだ。自分の魅力を全部抑え込んでるようなものだもん。
結論:「付き合う」ということは、いろんな権利を保証するのと同時に、私みたいな性分の人を抑えつける「枠」の役割も果たしている。
・・・f(^_^;
そんなわけで、私は今しんどい。
「付き合う」のがしんどいのに、
「あの人じゃないと嫌だなー」と思う。
何でこうなった!?笑
従来の「付き合う」じゃなくて、もっと自由で生き生き出来るような形の、全く新しいリレーションシップは築けないものかなぁ。それを探せる時代が、これから来てくれればいいんだけどね。
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