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エンパスの鍵は子供時代の記憶

私は生まれながらにエンパス気質を持っていた。

共感力が強すぎる上、人以外のもの(物質や動物、植物など)にも繋がってしまうというエンパス気質を持って生まれ、それを持て余し過ぎて「論理しか信じない!」という大人になった(笑)。

「論理的に考えて言葉を操る」という訓練は、私に色んな経験を与えてくれた。それがあったから東京で社会人になれて、一度は組織で出世もできた。

でも、やっぱりずーっと苦しかった。

どんなに頑張っても、どれだけ色んな言葉を駆使して人に何かを伝えようとしても、「言いたいことの10分の1も伝わってない」っていう感覚が拭えなかったから。

私の見ている世界や感じている感情、それをそのまんま飾らない言葉にしたら、誰も受け取ってくれないと思っていた。少なくとも4歳の時には、そう思って言葉を選んでいたのを思い出した。

エンパス気質の鍵は、子供時代の記憶に眠ってるみたい。

今日はその思い出した記憶について、エンパスの私が小さい頃どんな風景を見ていたのか、その一部を思い切って書いてみようと思います。


・・・。

保育園の頃、園庭でみんなで遊ぶ時間が好きじゃなかった。気の向くままに走ったり叫んだり、砂だらけになって石を集めたり、そういうのが全然楽しくなかった。

だから日陰になってる砂場のところで、大きな迷路を作って遊んでた。迷路を作りながら同時に自分も小さくなって迷路に入って、その中で探検して遊んでた(←この感覚分かるかな…)。

でも迷路は完成した試しがない。園庭の子達がわーーーっと砂場まで走ってくる度に、一気に迷路を崩してしまうから。

悲しかったりムカついたりするけど、我慢するしかない。だって「園庭を元気に走り回る方が正しい」ことだから、仕方がない。


じゃあインドアならいいのか?と言えば、そうでもない。例えば工作の時間に沢山の色紙を並べて、「みんな好きな色を取りに来て!」と先生が言って、子供がわっと走って取りに行く。

そういうのも好きじゃなかった。綺麗な色を取り合うなんて馬鹿げてるし、残った色(茶色とか黒)も可哀想。なんでそんな事をしないといけないのか、心底意味が分からなかった。

だから毎回みんなが選び終わった後にそっと取りに行って、残った「綺麗じゃない色」を選ぶ。私はそれで満足なのに、先生や両親には「変わってる」とか「大物だ」とか言われる。本当に大人の世界はよく分からない。


・・・ある日、隣の席の友達が争奪戦を勝ち抜いて、赤の綺麗な紙を取ってきた。友達はその赤い色紙の真ん中だけちょびっと切り抜いて、残った紙を丸めてポイッと捨てた。

わざわざ走って取りに行ったのに、何でそんな使い方をするのか分からなかった。そして色紙を可哀想だと思った。

色紙だってそんな使われ方をするために生まれて来たんじゃないのに、きっとまだ生きたいはずなのに、命を全うできないなんて可愛そう。

そう思ったから皺を伸ばして鞄に挟んで、家に持って帰ろうとした。別の方法で命を全うさせてあげたかった。

だけど先生にしこたま怒られて友達に「どろぼう」と言われ、母には「おじいちゃんも紙を大切に使ってるもんね」と謎の慰められ方をして、もー本当に「大変な世界だ」と思ったよね(笑)。


他にも色々ある。

園で飼っていたウサギは子供達に無理やり撫でられて、本当に痛そうで苦しそうで可哀想だった。ほっといてあげればいいのに、何でウサギの気持ちがみんなには分からないんだろうと思った。

戦争のビデオを見て1人だけ泣いて、部屋にいられなくなったこともある。タイムスリップみたいな空気の揺らぎや、自分の体が痛くなる感覚が怖かったから泣いたんだ。


・・・f(^_^;

改めて読み直すと、我ながらコメントに詰まるわ。昔塾の講師をやっていたけど、もし教え子がこんなこと言ったら、絶対固まって対応に困ったと思う。大人になるってそういうことだ(おい)。

子供だった私の目に映っていた世界。
感じていたたくさんの感覚。

伝わらない方が普通で、私の感覚がおかしいんだと思った。

だからずーっと誰にも言えなかった。

・・・確かに今までは、こういうことを言葉にしても伝わりづらい時代だったよね。だけどこれからは、きっと時代そのものが変わる。そんな流れを日々感じてる。

既に大人になった「隠れエンパス」の私たちも、子供の頃見ていた世界と、自分の言葉を取り戻していこう。今より楽に生きれる時代が、すぐそこまで来ているから。

そして今から10年後、20年後の未来の世界に、私たちならではの言葉を残そう。

いつも読んでくださりありがとうございます!直近でいただいたサポートは、引っ越し先で使う新しいカーテンと木の食器のために、大切に使わせていただきます(2019年3月末現在)。