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#029 全日本女子を追いかけて(02)アトランタ

 ソウル・オリンピックでは閉会式に潜り込んで、その光と音の饗宴に感動していたので、今度こそは開会式に立ち会いたいと思っていたが、担当ページの入稿作業をほっぽり出していくことはできず、アトランタ空港に着いたのは、開会式真っ盛りの7月19日午後7時過ぎだった。

 バレーボールの女子チームの選手たちも、楽しみだったはずの開会式に出られなかった。開会式翌日に予選リーグの第1戦を控えていたため、出席を取りやめていたのだ。
 ひと足先に現地入りしていたカメラマン氏が取っておいてくれたホテルに入ってテレビで開会式を見終わったころ、取材を済ませたカメラマン氏が帰ってきたので、日本チームの様子を聞くと、練習コートも遠いうえに、移動用に大会本部が用意してくれていたバスの運転手が道に迷ってしまい、あまり練習もできなかったという話だった。とにかく、明日の朝が早いので、すぐに眠ることにした。
 翌日、女子の第1戦、中国戦が行われる会場に向かう。車で2時間という遠隔地のアセンズという町の大学体育館が会場だった。やっとの思いで到着すると、もう試合開始時間の直前だった。まだ爆発事件(大会中盤の27日の夜に、コンサートでごった返していた公園で鉄パイプ爆弾が爆発し、2人が死亡、百数十人が負傷した)が起こる前だったが、入場時の荷物検査は厳しく、ペットボトルも持って入るのは禁止だった。
 たどり着くまでの大変さに比べ、試合はまったくあっけなかった。日本は中国にストレート負けだった。
 続くアメリカ戦もオランダ戦も共にストレートで日本は敗れ、第4戦の相手、格下のウクライナにはストレート勝ちしたものの、最終戦の韓国戦にもストレート負け。日本の女子オリンピック史上初の予選敗退という屈辱を喫したのだった。
 
 今、振り返ると、日本は戦う前に負けていたように思う。支援体制がまったくできていなかった。何しろ、日本を出発する前からそうだった。日本協会としての壮行会すら行われなかったのだ。それではあまりにかわいそうというので、世界最終予選を放送して応援していたフジTV関係者が、原宿に全員を集めて壮行パーティを開いたほどだった。
 それは、現地入りしてからも変わらなかった。予選敗退が決まったあとも、まるで懲罰かのように「全員帰国!」の指示があったのみで、協会としての慰労の場も設けられなかった。だから、ここでも、現地入りしていたTV関係者が全員を集めてお疲れさん会を開いた。協会としての動きはまったくなかった。
 大会期間中、練習も大会本部がスケジューリングした公式練習場での練習のみだった。それも、冷房もない大学の体育館での1日2時間のみだった。前回のバルセロナ・オリンピックまでは、事前に現地在住の日本人会が食事(日本食)の世話から公式練習以外の練習用の体育館の確保など、支援体制を作って待っていた。それに比べると、雲泥の差があったことになる。チームは監督、マネージャー、選手だけで、ほっぽり出されたのではないか、と思ってしまったくらいだ。前年に松平体制から新体制に移行した日本協会だったが、引き継ぎがまったくなされておらず、あとを引き継いだ執行部も何をしていいのかわからないという状態だったのだと思う。このオリンピック中も、某副会長が現地入りしたのだが、何の手違いか入場パスが発給されなかったらしく、日本チームに激励の言葉もなく帰国したと伝えられたほどだった。
 特に、監督以下全員が、予選終了をもって帰国させられたことは禍根を残したと思う。せめて監督とコーチ、そして次の4年後につながる若手の数人だけでも、なぜ残して世界のトップの試合を見ること、その雰囲気だけでも味わわせることができなかったのか。そうしていたら、次のシドニーでのオリンピック連続出場記録のストップもなかったのではないだろうか。
 12人の選手たちは、“史上初の予選落ち”の汚名を着せられただけでなく、楽しみにしていたオリンピックの開会式の味も、閉会式の感動も味わうことなく、寂しく日本に帰っていった。後日、この年を最後にビーチバレー転向を決意したレフトアタッカーだった佐伯美香選手が、こんなふうに語ったことを覚えている。「愛媛の実家に帰って、家のテレビで決勝を見ていて、世界のトップは、こんな顔をして戦うのかと初めて知りました。私たちは、あそこまで必死じゃなかったですよ」
 アトランタ・オリンピックのバレーボール会場は、直角にそそり立つように、急角度でせり上がっていくスタンドに囲まれており、その最上段に立つと、そのままコートまで転がり落ちるのではないかと不安になるほどだった。
 そこで見た女子のキューバ対ブラジルの準決勝は、正に死闘だった。鳥肌が立った。。一触即発状態の中で、女子でも、これほどの勝利への執念のぶつかり合いがあるのかと思わせる試合。ゲーム終了後には、つかみかからんばかりの選手を羽交い締めで押しとどめる両チームだった(このあとのワールドグランプリ大会では、実際にとっくみあいのけんかになってしまうのだが・・・)。