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#009 F1サーキットにて(6)メキシコGP

 昔、大学生だったころ、八ヶ岳や北海道の山から帰ってくると、東京の空気が目に染みて涙が出てしかたなかった。

 初めてメキシコシティに降り立ったときも、同じ経験をした。

 空気が目に染みて、涙がぽろぽろと出てくる。排気ガスでよごれた空気を吸っているのが目でしっかりと確認でき、「ああ、こんなところに長くいてはいけないな」と思った。それは、本当にひどくて、飛行機があと30分で着陸というアナウンスがあったあたりから、窓から見下ろす地上の風景が霞み始めるのだ。飛行機がもやのようなものの中に突入していく、という感じだった。


 そのスモッグで霞んだメキシコシティの中心、ソカロ(憲法記念広場)に宿を取って、メキシコGPの行われるロドリゲス・サーキットまで電車で通った。

 ホテルのベランダから外を見ると、広大な広場の向こうに大統領執務室と大蔵省の入る国立宮殿がドンと聳え、広場を1周する道路には、24時間、車の流れが途切れなかった。

 ロドリゲス・サーキットには、現地インディオの人達が土産物を広げるソカロ広場を突っ切った地下鉄のソカロ駅に下り、地下鉄に乗って行く。4つ目のチャバカノ駅で9号線に乗り換え、パンティトゥラン駅行きで4つ目のデポルティバ駅で降りると、すぐ目の前がサーキットだった。
 約20分で着く距離だが、電車の中にはタバコを1本ずつばら売りする少年や、父親らしき人のギターに合わせて歌を歌いお金をねだる子供など、明らかに学校に行っていないだろう少年たちが目に付き、貧富の差が激しいことを感じさせた。
 街を歩いていると、一人の警察官に声をかけられてビクッとしたことがある。「土産物を探してないか?」と聞かれた。ついていくとあるお店に案内された。あとで聞くと、ああしてお店からお金をもらっているのだということだった。


 1968年のメキシコ・オリンピックの舞台となった陸上総合競技場一帯に造られたサーキットは、煤けた、随分古めかしい造りで、それがその後、ここではグランプリが開かれなくなった理由かもしれない。

 しかし、カード式の入場券には驚かされた。現在ならわからなくもないが、1990年の当時に入場券が今の「スイカ」のようなカード式になっていたのだ。当時としてはとても斬新な方式だったと思う。

 
 空気の悪さにも悩まされたが、水にも悩まされた。生水はたとえホテルやレストランのものでも飲むな! と言われていたので注意していたはずだったが、それでも当たってしまい、同室の記者と代わりばんこにトイレに飛び込む羽目に陥ってしまった。

 あとで聞くと、中嶋悟選手も初めてのときは、やはり水に当たってしまい、2時間のレースを持ちこたえるのが大変だったということだった。


 その中嶋選手が前年、標高2,000mを越す高地に慣れるために、ティオティワカンのピラミッドを上り下りしてトレーニングしたと聞いたので、バスに乗って行ってみることにした。
 市街から北東の方向に1時間ばかり走ったバスが着いたところは、草原の真ん中にぽつんと立つカフェテリアが併設された博物館だった。そこで簡単な昼食をとったあと、約4kmあるという死者の道というメインストリートを歩くと、じりじりと太陽が照り付ける。
 いちばん高い太陽のピラミッドに登り、いちばん遠くにある月のピラミッドまで行って、そこも頂上まで登ってみた。45度もない角度だが、とても走って上れるような階段ではなかった。転げ落ちないように1歩1歩手をついて登り、今歩いてきた死者の道を振り返ると、遠方の山々に向かって1本の道がまっすぐに続いており、左手にもうひとつの大きなピラミッドが聳えていた。それがケツアルコアトルのピラミッド。
 眼下には、7世紀まで宗教都市国家があり、20万人が生活していた平原が続いていた。


 メキシコシティは高地なので、決して走ったりしないようにと言われていたので、町中を歩くときも、努めてゆっくり歩くようにしていた。それでだろう。大会中は高山病のような症状になることはなかったのだが、帰りのメキシコシティ国際空港でタラップを登っていると、急に吐き気と目眩が襲ってきた。立っているのがやっとという状態になってしまった。ああこのまま死んでしまうのかなあ、と思ったことを覚えている。怖さとか恐怖心とかいう感覚は全くなかった。

 薄れる意識の中で、歩き続けたのだと思う。気がつくと自分の席に座っていた。気持が悪くなったときはタラップの最上段まで来ていたので、機内に入り、機内の空気を吸ったことで酸素が脳に戻り、持ち直したのではないかというのが、そのときの自己分析だ。あれこそ、空気が薄いということの影響だったのだと思う。体が疲れていたということもあっただろうけれど。

 変な考えだが、あれ以来、死ぬというのはあんな感覚なんだなあと思うようになって、死というものに対する怖さがなくなってしまった。