#020 F1サーキットにて(15)日本GP
スポーツというものにも、人間の一生と同じように少年期、青年期、壮年期を経て老年期があり、そのどこかで人々の注目を浴びる栄光の時代がやってくるのだ。
日本の野球でいえば、王・長島時代こそ、その黄金の時代であったのだろうし、相撲で言えば若貴時代がそれであった。バレーボールで言えば東京オリンピックの“東洋の魔女”からミュンヘン・オリンピックでの男子優勝を果たした大古・横田・森田時代があり、バスケットボールでいえば、92年バルセロナ・オリンピックでのアメリカ・ドリームチーム時代に日本での人気は最高潮に達した。テニスにも1980年代初頭に男子のコナーズ、ボルグ、マッケンロー時代があり、それは女子のエバート・マブラチロワ時代とつながっている。サッカーでいえば、2002年のワールドカップ日韓共催で燃えた1か月がそれだったといえるだろう。
それをF1で見ると、1988年から90年代初頭にかけてのセナ、プロスト、それにマンセルを加えた時代がそれに当たっていたのだと思う。セナとプロストの雌雄決着を期待して鈴鹿に集まったファンの熱狂は、あの時代が最高で、以後、たとえシューマッハが何連勝しようと、あの熱気がサーキットに戻ってくることはなかった。
あれこそが象徴的なシーンだったのだ。前年89年はシケインで接触し、セナはレースに戻ったが失格となり、マシンを降りたプロストがチャンピオンを獲得。90年は、スタートからまだ400mも走らない第1コーナーでセナがプロストを押し出して共にリタイア、セナのチャンピオンが決定した。
そして、たぶん、レースが終わったのではなく、“すべて”が終わってしまったのだ。少なくとも、ぼくの心の中では・・・。
このレースの何年も前に、プロストが言っていた言葉で、今でも忘れられない言葉がある。
「F1はすばらしいが、私の生活の一部に過ぎない。他の部分も大切だ。
F1を悪く言いたくないが、難しい世界だ。
F1で一緒に働いている人達は大好きだし、チームもすばらしい。いい関係だ。
でも、一歩外に出れば、嫌いな人もたくさんいる。
会社勤めと同じだよ。
朝8時から夜7時まで働いて、嫌な人とも会う。
でも、それが仕事だ。F1も同じなんだ。
息子にはやって欲しくない仕事だ。
やりたいと言えば手伝うけれど・・・。
ゴルフかテニスか、何かスポーツをして欲しいけれど、
F1ではないほうがいい」