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#004 F1サーキットにて (1)アメリカGP

 雑誌創刊1年目は、地固めの時期と認識していたので、取材は部下とフリーランスの2人に任せ、もっぱら編集作業に明け暮れた。が、2年目の1990年のスタートからグランプリレースの現場に足を踏み入れた。その最初の取材がアメリカGPだった。

 その後、アメリカGPは、インディカーレース“インディ500”で有名なインディアナポリス・スピードウェイで開催されるなど、様々な場所で開催されているが、当時はアリゾナ州の州都であるフェニックスが舞台だった。

 フェニックスのダウンタウンを遮断して、金網で囲った市街地の中をF1マシンが走ると、周りの高層の建物に反響したエグゾーストノートがすさまじい爆音となって、跳ね返ってくる。

 そんな中を歩き回って、写真を撮り、プレスルームに戻ってモニターを見ながら、レースの進展を追うのだが、なかなか全容が掴みきれない。タイヤバリアーに突っ込んだマシンがあっても、わかるのはチーム名だけで、場所の見当がつかないのだ。これでは原稿にならないと焦ったものだ。

 2時間弱のレースは瞬く間に終わり、各チーム広報が配るレースレポートとドライバーのコメントを頼りに、何とか記事にして日本にファックスすると、もう深夜の12時を回っていた。


 そんな海外でのF1初取材だったが、そんな中にも、結構自由時間を作る努力をしていたのだなと思う。というのは、もう一人の取材記者と連れだって、「サザン・パシフィック鉄道の駅舎跡を見にカサ・グランデまで行ってみよう」ということになって、バスに乗って(1時間かかった)出かけた日があったからだ。

 その帰り、乗ってきたときと同じバス停で待っていると、カーキ色の上下に同じくカーキ色の帽子をかぶった警察官二人が車から降りてやってきて、パスポートの提示を求められた。ところが、ウィンブルドンでの苦い経験からパスポートはホテルに投宿すると同時にフロントに預けるようにしていたので、携行していなかった。つたない英語でいくら日本人で、これこれの仕事で来ていると言ってもわかってもらえない。特に悪かったのが、中心街に帰ってから買えばよかったのに、たまたま見つけたスーパーマーケットで大量に買い込んでいたペットボトルに入った水とジュース。二人とも、それを買い物袋に入れてぶら下げていた。こんなものを持って、どこに行くのか、というわけだ。

 そうこうしているうちに、中心街に戻るバスがやってきた。無視して乗り込もうとしたのだが、そのバスはすし詰め状態。どんなに押しても、まったく上がり込む余地がない。

 どうしよう、と思っていると、件の警官の一人が、人混みをかき分けてバスの中に潜り込んでいった。そして、しばらくすると、10人ほどの同じように日に焼けた小柄な男達を引き連れて、降りてきたのだ。「空いたから乗れ」と言うような合図を送ってきた。

 急いで乗り込み、無事に帰り着いたのだが、そのとき、降ろされた10数人は何者だったのだろう? ということが帰ってからのプレスルームでの話題となった。停めてあった金網付きのトラックの後部に乗せられていたので、メキシコからの越境者か、越境者と疑われた人達だったに違いない。