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Nikon一眼レフの想い出・・・その5

 梅の花々は柔らかく膨らみ、艶やかである。桜よりも、撮影に気合いが入る。イメージした「赤」を上手い具合に表現できないが、光量や照射角や空の色を見回しながら構図を考え、じわりとフォーカスリングを回す。

 もっと切れ味のよりレンズを使えば、厚みを感じる花びらや雌しべ雄しべを主役に撮影できるに違いない。椿も同様に、楚々と咲いているものの、花びらの上に散る花粉の微粒子まで撮りたくなってしまう。

 気のせいなのか、コスモスは以前よりも背の低いものが多く、風に大きく靡くコスモスに出逢わなくなった。コスモスはお気に入りだが、それを包み込む細身の色鮮やかな緑の葉は、脇役以上の存在であるとも言える。

 マクロレンズの凄さは、肉眼では見えないミクロの世界をいとも簡単に拾ってくれる。しかし、そればかりに気を取られてしまうと、顕微鏡や特大虫眼鏡で見るような狭い世界に入り込み、世間が見えなくなってしまう。

 自己評価であるが、被写体を明るく鮮やかに撮したい気持ちはあるものの、反面、寂しさを感じさせる写真が多い。全く根暗ではないが、どうしても、和の「侘び寂びの世界」がDNAに組み込まれているらしい。

 花々の撮影にて「侘び寂び」が脳裏を過ぎると、やけにシンプルな構図になってしまう。写真自体に、短命なる花々を彷彿とさせる寂寥感が漂ってくる。心理学者ではないので良く分からないが、それは自分なりの作風として是とすべきだろうと、都合の良い解釈をしている次第。

サポート、心より感謝申し上げます。これからも精進しますので、ご支援、ご協力のほどよろしくお願いいたします。