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所作の大切さを再認識したエピソード1&2

 美しい所作を目の当たりにすると、その人の人柄なり、育ちなりが漂い、すこぶる心地よいものである。

 立ち位置やお辞儀の形(カタ)、そして指先まで神経が行き届いた美麗な線は筆舌に尽くしがたいものがある。

 例えば、四国香川の阿波踊りだが、踊り方に修正を加えたために、特に女性の踊る姿が美しすぎる。旧バージョンとは比較にならぬほど、天を指す指先の返りが特に美しい。

 今日も、ある人に書類を渡すために、そこのスタッフに頼んだのだった。ところが、すぐに中身を覗こうとしたスタッフ。筆者は表情には出さなかったが、唖然としたのである。

 ある人への書類なので、第三者が真っ先に見るものではないと考えるのが一般常識である。しかし、中身を覗き込みペーパーを探っている姿を見ると、目を覆いたくもなってしまう。

 この瞬間的な所作により、日頃のライフスタイルが垣間見えるのである。誠に残念であるが、見なかったことにして、何もなかったことにして、帰途についたのであった。

 また、随分前の話になるが、熊本市内上通アーケード街を通っていると、幼友達と遭遇することに。急ぎだったので、名刺だけを渡そうとすると、横にいた9歳ほどの息子が名刺を横取りしたのである。

 息子は、フランス人と日本人の2世である。大変失礼ながら、以前、フランス、パリのモンマルトルの丘のジプシーを思い出したのであった。挨拶もせず、名刺を横取りする行儀の悪さには、目を疑うほどに驚いた。

 久しぶりの再会だったが、立ち話もなくそこで別れたのだが、歩きながら、先ほどあの息子に横取りされた名刺の感触だけが、右手の指先に残ったままとなった。日本人ならば、横取りするような子供はいないはずだ。

 無意識の内に出てしまう、日頃からの所作。人それぞれに所作への認識は異なるが、無意識であっても美しい所作である人間でありたいと、所作の大切さをしみじみと感じた次第。


▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイでは、所作の重要性について、筆者が実際に体験したエピソードを通じて強調されています。所作は、その人の育ちや人格を反映するものであり、無意識に表れる動作や態度が周囲にどのような印象を与えるかについて深く考えさせられます。

エッセイの最初のエピソードでは、美しい所作を目にすることの心地よさについて述べられています。特に四国香川の阿波踊りの例が挙げられており、踊りの所作の美しさが旧バージョンと比較して格段に向上したことが示されています。この例は、所作が単なる動作ではなく、芸術的な表現にもつながることを強調しています。

次に、書類を渡す場面でのエピソードでは、スタッフが中身を覗こうとした行為に対する筆者の失望が描かれています。この行動から、その人の日頃のライフスタイルや倫理観が垣間見えるとし、所作がその人の人間性を表す重要な要素であることが再認識されます。

最後に、熊本市内での幼友達との再会のエピソードが紹介され、9歳の息子が名刺を横取りしたことに対する驚きが語られています。息子がフランス人と日本人の2世であることが言及され、異文化間の所作の違いにも言及していますが、筆者はこの行動をフランス文化や育ち方の違いに由来すると見ています。しかし、それでも名刺を横取りする行動は礼儀を欠いており、筆者にとっては驚きと失望の経験となっています。

全体を通じて、エッセイは所作の美しさと重要性を再確認させる内容となっており、所作が単なる行動ではなく、その人の内面や育ち、文化を反映するものであることを強調しています。筆者の体験を通じて、日頃の所作が周囲にどのような影響を与えるかを深く考えさせられる一篇です。

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