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Bros.よしむら・・・吉村悌二の世界(2)

<修行の時代>

◎コックの道拓く

(西田)さて、コックの道が拓けました。・・・最初は何処に配属になったのですか?

(吉村)最初からブッチャーへ行かされました。料理の基本の基本の処ですが、それが私にとっては良い勉強になりました。朝からやってくる肉の業者さんから、その捌き方・・・つまり、筋の取り方、関節の外し方など、懇切丁寧に教えて貰いました。牛肉であれば、枝肉をある程度ばらした物を持って来るので、そこで捌き方を徹底的に学びました。

(西田)それから、どんなセクションに就いたのですか?

(吉村)ホテルでは、ワンセクションは約2年半に決まっていました。ブッチャーを経て、ソシエの担当となりました。その後、ダイニングルーム「けやき」に2年半ほど居まして、それからガルトマンジェ(冷製料理)というセクションに異動となりました。

(西田)そろそろシェフの姿が見えて来た訳ですね!?

(吉村)総料理長には可愛がられていましたね。東京ヒルトンホテルがオープンした当時は、各セクションのコックは皆外人だったようですが・・・。パティシエはフランス人でした。勿論、ヒルトンは外資系ですから、私たちが取り扱う書類やアジェンダなどは、全て英語でした。日本のホテルと可成り異なるシステムでしたね。・・・それから、ソシエを経て、ダイニングルームへ配属となりました。

珍しい、ピンク電話。

<~人生の分水嶺~>

◎再就職への道

(西田)短期間の内に、とんとん拍子ですね!

(吉村)そうですね・・・そのガルトマンジェに居た時、突然、親父が癌に倒れたとの知らせが届いたんです。・・・私が32歳の時でした。人生の分水嶺に立ったのです。お袋も病に伏せていましたし、兄貴は当時、青山の有名なJAZZクラブで働いていたんですが、その店も急に閉じる事になってしまい、兄貴は私より先に熊本へ戻る事になりました。

(西田)悌二さんはそのままヒルトンに留まったのですか?

(吉村)いや、結局、私も熊本に戻らざるを得なくなったんです。実は、昭和55年春に癌の知らせを受け取って、

その年の夏にはホテルを辞めて熊本に戻ろうかと思ったんですが・・・親父が11月8日に他界したのです。それで、熊本と東京を行ったり来たりしていましたが、ホテルは11月23日の「Thanksgiving day」の準備で大忙しだったので、同月23日まで働くという事で料理長のサインを貰って、26日に熊本に帰って参りました。

(西田)人生の分水嶺に立ち、選択肢次第では人生が180度変わりますからね。

(吉村)就職をお願いした先から、1ヶ月経っても連絡が無かったので、とうとう自分の友人が経営している店を手伝う事にしました。


▼Bros.よしむら
店 休 日 月曜日
・住 所 熊本市中央区下通1-4-19 1F
・T E L 096-322-7900

サポート、心より感謝申し上げます。これからも精進しますので、ご支援、ご協力のほどよろしくお願いいたします。