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Bros.よしむら・・・吉村悌二の世界(1)

<修行の時代>

吉村悌二さん

◎団塊の世代に生まれる

(吉村)いらっしゃい。お久しぶり!

(西田)本当にお久しぶりです。今日は長時間の取材となります。忙しい時に大変申し訳ありませんが、宜しくお願いします。・・・本日は、悌二さんの修行の時代から現在までをお聞きしたいのですが、先ずは、簡単なバイオグラフィを教えて下さい。

(吉村)こちらこそ、宜しくお願いします。・・・ええ、昭和22年2月14日、熊本市川尻町に生まれました。バレンタインデーの日で、先日67歳になったばかりです。所謂、団塊の世代、最初の年の人間なんですよ。

 熊本市立川尻幼稚園から、熊本市立川尻小学校、熊本市立城南中学校、そして熊本県立第二高等学校、日本大学(中退)。・・・その当時は、父親達が戦争から戻って来て、子沢山となり、周りには一杯子供たちが居ましたね。実家は、瑞鷹株式会社の敷地内にありました。元々、味噌醤油屋だったんです。

(西田)と言う事は、現在の瑞鷹株式会社の吉村家とご親戚なんですね?

(吉村)はい、そうです。祖父同士が兄弟となります。

(西田)では、悌二さんがフレンチのシェフになった動機を教えて下さい。

(吉村)どうなんでしょ。幼い頃から祖母や母が台所でコツコツするのを見ていて、いつの間にか好きになったんでしょうか。

吉村悌二さん

◎東京ヒルトンホテルの門を叩く

(西田)何故、東京ヒルトンホテルの門を叩いたのですか?

(吉村)そうですね、当時は、オリンピックの影響もあって、コックが凄く脚光を浴びた時代だったんですよ。

(西田)最初からコック希望だったんですか?

(吉村)はい、それで東京ヒルトンホテルのコックで入ろうと思っていたんですが、同ホテル入社希望者が多くて100人ほど居たように記憶しています。でも、その9割くらいがコック希望だったのかな。競争率が高くて、今思えば、簡単にコックになれる環境ではなかったですね。

(西田)では、どんなセクションからスタートしたのですか?

(吉村)最初は、ハウスマンでした。宴会の設営をしていました。しかし、時間が経つにつれて、コック希望者も「こんなんじゃなかった!?」と言いながら、どんどんと脱落して行きました。だから、実際にコックになったのは、何十人も居なかったですよ。・・・それから、京王プラザが出来る時に、東京ヒルトンホテルの総料理長以下のコックを半分くらい引き抜いてしまった事もありました。

(西田)ヘッドハントというか、派手な引き抜きですね。

(吉村)ドイツ人の総料理長以下、その引き抜きで、半分ほど空きが出たんです。それで、東京ヒルトンホテル側が早急にコックの補充をせざるを得なくなり、私にとってはタイムリーにコックへの道が拓けました。


▼Bros.よしむら
店 休 日 月曜日
・住 所 熊本市中央区下通1-4-19 1F
・T E L 096-322-7900

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