見出し画像

『隈部親永公像』を発見!・・・The statue of Chikanaga Kumabe

 『隈部親永公』と申し上げても、熊本県外の方であれば、殆どご存じではないに違いない。もしかすると、熊本県民であっても、知らぬ人の方が多いかも知れない。

 『隈部氏館跡』(熊本県山鹿市菊鹿町)には、時折、ツツジや山桜などを撮影に行くものの、日頃から足を運び入れることがなかった『あんずの丘』(同町)。

 初めて『あんずの丘』の駐車場へ。月曜日なのか、数台の車が駐車してあるだけで、閑散としていた。野外ステージ前広場の芝は綺麗に刈り取られてすぐのようで、草刈り独特の香りが鼻腔に入り込む。

 案内看板があったので拝見していると、何やら『隈部親永公』や『隈部氏館跡』についての解説があり、その他、出城などの位置を描いたものがあった。

 「ん?」、この解説文を書いた人物の氏名を見て、一瞬驚いた。筆者が転勤族の金魚だったために、数十年間会うことがなかった幼友達(筆者より年上)である。『熊本県文化財保護審議会会長』という肩書きだ。

 ネット上では、筆者の仕事柄、その人物が県内各地で講演などで活躍している情報は得ていた。まさか、初めて訪れた『あんずの丘』でその氏名を目にするとは。不思議な縁である。

 幼い頃は、自宅が近いこともあり、喧嘩独楽や凧揚げなど、一緒に遊ばせて貰ったことを、昨日のことのように覚えている。実に、懐かしい幼友達の一人である。

 話が逸れてしまったが、『隈部親永公』は、十六世紀後半に、肥後北部の山鹿菊池地域を治めた国人。1587年に勃発した『肥後国衆一揆』の中心人物としても知られ、太閤検地に反対し『豊臣秀吉と戦った武将』として記録が残っており、1588年に福岡県柳川にて最期を遂げているようだ。

 詳細については、また、次の機会に、書き綴ろうかと・・・。

隈部親永公像
隈部親永公像
隈部親永公像
隈部親永公像
隈部親永公像
隈部親永公像
野外ステージ
モニュメント

サポート、心より感謝申し上げます。これからも精進しますので、ご支援、ご協力のほどよろしくお願いいたします。