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年の瀬となり、いつものように国内はソワソワしている。若くして起業して三十三年になるが、この年末のソワソワ感については我関せずが、筆者のスタンスである。別にソワソワすることもなく、年末だから、年始だからと言って、商業イベントに心を奪われる必要性を感じないのである。 それより、お歳暮をお贈りして頂く方々の気遣いがすこぶる有難くもあり、気になって仕方がない。「日々、お陰様。」の心を持って、恩返しをしなければならないが、それを考えると、少々焦ってしまう。 今年も、静岡名産、
特に、ソフト面、例えば芸術的な価値、人の価値が理解できぬ人に、どんなに価値を伝えようとしても、聴く耳を持たない。そこで、価値あるものの歴史的なこと、他者の実績を伝えても、価値が分からぬ人には、馬の耳に念仏であることを理解しておかねばならない。 そのような人は、目に見えて、重さがあるような物に対しての価値は伝わるとしても、目に見えぬものは価値はないと思っている。更に、物に対しても、例えば、陶磁器の微妙な曲面や玻璃面の美についても全く反応を示さぬ人がいるが、それは論外。初手
仕事にしても、学ぶにしても、重要なことは「DIY(Do it yourself)」という姿勢である。 仕事が捌けない、学んでも次から次へと忘れていくのは、「DIY」ではなく、他者に依存する楽な姿勢をとっている大人が多いから、捌けるものも捌けず、得るものも少ないことになる。 最近、筆者主催のZOOMプライベートスクール「Well Done」で飛躍的に伸びている人物について語れば、少しずつであるが、「DIY」に挑戦するようになっている。 これまでは、仕事が忙しいとい
読者の中で、注目している記事や話題の記事を、自らの「note」で紹介されている人がいる。他者が書き綴る記事やエッセイをしっかりと読まれて、選別するのは手間暇のかかることであるが、感心するばかり。 筆者の場合は、一瞬間の思いつきを、バチバチとキーボードで文字化するのだが、それを読まれていることに、感謝の言葉しかない。 この2年間に、脳活性化を目的に「note」を書き綴り、既に2,214本のエッセイやコラムを掲載しているが、全く納得できていない自分がいる。 少しでも
1週間のビューワー数が、初めて1万件を超えた。「note」の初心者マークの筆者のエッセイや記事であるが、読者の方々のお陰で、一気に急増した感がある。 よって、1ヶ月間のビューワー数は3万件を超え、1年間のビューワー数が22万8千件となった。 明日からも結果以上を維持しつつ、更に右肩上がりへ持って行くのは容易なことではなさそうだが、本日の記録更新は素直に嬉しい。 もっと、もっと、読者の方が唸るような、頷くような、賛同するような、そして、読者の方を惹きつけるようなエ
フィリピンのプロバンド「The Boys & Girl in the Band」のリーダーRonnie A. Garciaから、懐かしい写真が数枚送られてきた。 彼らは、数年前までは豪華客船の専属バンドとしてクルージングを楽しみながら、太平洋上で演奏をしていた。 バンド構成は、Ronnie A. Garciaとその兄弟、そして妻である。幅広いジャンルの音楽をこなすが、Ronnie A. Garciaのギター演奏は突出していた。 「The Boys & Girl
「note」を開き、さて記事でも書こうかと思っていた矢先に、以下の表示が飛び出してきた。筆者にとっては、「note」からの素敵なクリスマスプレゼントのようだ。 先日、掲載した記事「今日まで、そして、明日からも」が「#生活」のカテゴリーにおいてアクセスが多かったということなのだろうと。 今、「今日まで、そして、明日からも」の記事を読み返してみて、自分自身が何を訴えたかったのかを再確認することにした。 読み返すと、起業して「過酷な仕事環境」、「機材管理」、「海外との
新聞社を経て、若くして起業して33年が過ぎたが、振り返るとあっという間の出来事であるものの、語れば数年掛かるほど、書籍にすれば何百冊も書き綴らねばならぬほど、いろんな経験の中で、苦渋を舐めたり、両手を挙げて歓喜の声を共有したりのエピソード満載となっている。 ところで、最近思うことは、長い間慣れ親しんだものについては、他者から見れば異常な状態であっても、自ら全く違和感がないことが多いということである。 筆者に関して自己評価すると、毎日、仕事が深夜に及び、就寝時間が午前
2023年1月から現在まで、967本のエッセイや記事を書き、多くの読者の方々から激励され、嬉しいやら恥ずかしいやらの毎日を送っている筆者である。 「note」を開設して、ちょうど2年となり、まだまだ初心者マークだが、気づけば、年間17万5千件以上のビューがあるのも、奇跡としか言いようがない。 勿論、目標は1日あたり1万件、年間360万件なので、現在の20倍のビューを達成しなければならないが、気が遠くなるようで、内心はやる気満々となっている。 以下のように、よく読
同年代もしくは一回り若い人たちを見ていると、何となくではあるが、気づきも足りず、感動もない、そんなオーラを放つ人を見かけることがある。 人は歳を重ねれば、肉体的に老いて行くものだが、老い方次第では、ドライエージングで熟成した高級和牛のように味わい深く、ルビー色に光り輝いている人を見掛けることもある。 反して、歳を重ねるほど気づきもなければ、これまでの修正も改善も何もないままに老化を認め、感動という言葉さえも宿らず、苦虫を潰したような表情を見せる熟年層もいる。 人
頭の天辺から足の爪先まで神経が届くかどうかは、個人差がある。 スポーツや文字の書き方、パソコンの操作など、神経が届く人は学習能力が高く、新しいスキルを習得するのが非常に早い傾向にある。 しかし、神経がなかなか届かない人は、不器用ことが多く、時にはちょっとした気配りでさえも苦手なこともある。これは、年齢や性別に関係ない。 例えば、ゴルフのスウィングを見るだけで、その人が器用かどうかが直ぐに分かる。器用な人は、プロのスウィングをしっかりと観察し、それを自分の体で再現
「note」の初心者の域を脱しきれない筆者であるが、本日、「note」から知らせが届いたのである。 それは、「サポート」という知らせであったが、どういう事なのか、最初は理解できない状態であった。 調べてみると、読者の方が、筆者のエッセイを「サポート」という仕組みを使って、購入して頂いたようなのである。 辛辣な記事であったり、逆に専門的であったり、日頃のわがまま放題の食生活であったりの記事ばかりだが、「サポート」して頂いたことに、心から感謝申し上げたい。大変、恐縮
何故、日本人は精神論に囚われ、楽しくない仕事でも真剣に一生懸命となり、ストレスと戦わなければならないのだろうか。善きにつけ悪しきにつけ、日本人の生真面目さが、逆に。悪影響を及ぼしているように思えてならない。 海外に行けば、あらゆる職業が尊重されている。各職種のプロは日々仕事を楽しんでおり、生き甲斐として笑顔を絶やすことはない。例えば、トイレの掃除係が笑顔で皿を持ち、利用料金を徴収している姿は素晴らしい。 以前、東京ディズニーランドの清掃スタッフに関するニュースが報じ
ほぼ毎日、数本の記事やエッセイを「note」にアップしているが、最近、にわかにコメントが増えてきたように思えてならない。よって、毎日、ぴょんぴょん跳び上がっては、天井に何度も頭をぶつけている次第。(そんなに座高が高くはない) 先ほど、「不器用な人ほど、プロになれる。」の記事にてコメントが寄せられていたので、跳び上がるほどに、嬉しさ100倍となってしまった。 その記事では、自分で器用だと思い込んでいたら、実は、ほとんどが力技であったことに気づいた時に、周囲を見回すほど