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積善之余慶

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負のスパイラルを吹き飛ばし、常に好循環。自分らしい、大切な人生を送るための『秘策』を一緒に語り合いたいですね。そんな、気持ちです。 https://www.dandl.co.jp…
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#感謝

日々、お陰様。

 年の瀬となり、いつものように国内はソワソワしている。若くして起業して三十三年になるが、この年末のソワソワ感については我関せずが、筆者のスタンスである。別にソワソワすることもなく、年末だから、年始だからと言って、商業イベントに心を奪われる必要性を感じないのである。  それより、お歳暮をお贈りして頂く方々の気遣いがすこぶる有難くもあり、気になって仕方がない。「日々、お陰様。」の心を持って、恩返しをしなければならないが、それを考えると、少々焦ってしまう。  今年も、静岡名産、

苧木晃、急逝。(過去記事)

 以下は、過去記事「苧木晃、急逝。」を若干修正したものである。早いもので、今年の5月25日で、苧木晃急逝から22年となるが、今回「note」に再掲載し、素晴らしい思い出を残してくた苧木晃のご冥福を改めてお祈りしたい。  2002年5月25日は、筆者にとってはとても悲しい日であった。10年近く一緒に仕事をした関西テレビの苧木晃(プロデューサー)が、癌との戦いにおける壮絶な死であった。享年48歳という若さであり、当時、筆者はスタッフを引き連れて、大阪の葬儀場に飛んでいった事を昨

ビューワー数急増に、心燃え上がる。

 1週間のビューワー数が、初めて1万件を超えた。「note」の初心者マークの筆者のエッセイや記事であるが、読者の方々のお陰で、一気に急増した感がある。  よって、1ヶ月間のビューワー数は3万件を超え、1年間のビューワー数が22万8千件となった。  明日からも結果以上を維持しつつ、更に右肩上がりへ持って行くのは容易なことではなさそうだが、本日の記録更新は素直に嬉しい。  もっと、もっと、読者の方が唸るような、頷くような、賛同するような、そして、読者の方を惹きつけるようなエ

「note」のアクセス増に感謝!!!

 「note」を利用させて頂くようになり、登録して2年、記事やエッセイを掲載するようになって1年11ヶ月となる。  主に、社会風刺的な記事、日常のランチや夜食、ホテル文化と食文化、ICT&AI、Macオタク的な活用法、お散歩カメラなどを中心に掲載している。  ひさしぶりに、現在の「note」のアクセス状況がどの程度かをチェックしたところ、1週間で8,828件、1ヵ月で34,316件と、多くの読者の方々がお立ち寄りいただき、とても勇気づけられているのである。  唐突に、ア

筆者のエッセイを購入して頂いた!?

 「note」の初心者の域を脱しきれない筆者であるが、本日、「note」から知らせが届いたのである。  それは、「サポート」という知らせであったが、どういう事なのか、最初は理解できない状態であった。  調べてみると、読者の方が、筆者のエッセイを「サポート」という仕組みを使って、購入して頂いたようなのである。  辛辣な記事であったり、逆に専門的であったり、日頃のわがまま放題の食生活であったりの記事ばかりだが、「サポート」して頂いたことに、心から感謝申し上げたい。大変、恐縮

「note」は、人生を変える!?

 四半世紀以上にわたり、インターネット事業に携わっていると、時の経過に圧倒されることがある。Webの登場により人々は驚き、電子メールがコミュニケーションのスタイルを変え、ブログが隆盛を極め、多種多様なSNSが進化して今日に至っている。  筆者は本業が多忙な一方で、元々筆無精な性格であるが故に、長年ブログを続けることが難しく感じていた。しかし、2年前に「note」に出会い、早速登録し、昨年1月から本格的に「note」を活用するようになった。  当初の目的は、自身の専用ブログ

「note」のフォローについて・・・

 2010年前後が、本格的なSNS時代の幕開けとなった時期だが、X(旧Twitter)が日本上陸した頃は、皆がフォワーを如何に獲得するかで、フォローの連発をしていたような記憶がある。  それから10年以上が経ち、現在の自分のXを見ると、当時とほとんどフォローもフォロワーも数は増えることなく、そのままの状態が続いている。  筆者としては、当時、フォロワーを積極的に増やそうという考えもなく、同じXの登録者として、共感できる人があれば、その距離感にて楽しもうと考えていた。  

「note」全体ビュー20万件突破に、感謝。

 「note」を登録して2年。実際、エッセイや記事(1,493記事を掲載)などを書き始めて1年10ヶ月ほどが経つ。まだまだ、「note」の初心者マークである。  「note」の素晴らしさは、とにかく使いやすい。筆者が日頃から使っているブログ(当社オリジナルサーバーに搭載)と比較すると雲泥の差である。  よって、「note」は、頭に浮かんだものを、画面を見ながらタイプしていると、あっという間に、写真と共にさっと出来上がる。早い時は、エッセイを10分程度で書き上げている時もあ

積善之余慶・・・金毘羅宮の階段

 「積善之余慶」という言葉を好むが、日々、それを実行するのは至難の業。しかし、この言葉を大切にするのは、人として必要なことである。  以下は、手前味噌で大変申し訳ないが、若き頃(新聞社時代)に、四国V字ルート(高松→高知→松山)途中で金刀比羅宮への階段を上ることになった。  ところが、一人の後期高齢者のお婆さんが、「バスに独り残るのは嫌です。上りたい!」と言ってガイドの指示を聞かない。足が悪いので、気持ちは分かるが、周囲の連れの人たちもどうしようもなかった。  よって、

人生が変わるほど影響力ある人々の出現は、分水嶺に立つ己を後押ししてくれる。

 善きも悪きも、人生が変わるほどに影響力ある人々は、長くて短い人生において、必ず存在し、出現する。我が半生を振り返れば、多くの方々の姿(笑顔)が走馬灯のように浮かび上がり、ただただ感謝するばかりとなる。 ▼小中高時代の諸先生 1)無理を言って、3歳で入園を受けて頂いたカトリック系の園長夫妻。 2)小学1年生の時に6年生までの国語教科書を頂いた岩本先生。 3)音楽の魅力を教えて頂いた、小学校の富永先生。 4)漢字の筆順を徹底的に教えて頂いた、小学校の上田先生。 5)学級委員

わらび餅の想い出・・・あの時のお婆ちゃんのわらび餅に敵うものはない!

 中学生の頃に眼を患い、手術をすることになった。そんな大事な手術ではないが、右眼の手術を終えて、帰途についた。  ところが、麻酔が途中で切れて、激痛が走り出す。公園の中をトボトボと歩きながら、とうとう痛みに耐えられず、目の前のベンチに座り込んでしまった。  じっとしていると激痛は少しは収まる。しかし、直ぐに歩こうとすると痛みが戻ってきそうなので、もう少しベンチで休憩することにした。  突然、背後をから声が聞こえた。「どうしたの?体調でも悪いの?」と、頰被りをしたお婆ちゃ