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理不尽なる蛮行

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私自身に限らず、周囲の方々のパワハラ相談を受けて、理不尽なる蛮行が罷り通る世の中が、とても情けないと思います。人を虐めたり恫喝したりして、何も産むことはない。被害者が加害者のよう…
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2023年11月の記事一覧

突然キレて止まらぬ罵詈雑言・・・

 ある人物の言葉に驚いた。「・・・くせに!」と、激しい言葉のトーンと語尾の「くせに」に腰を抜かしたのである。  電話会話の中で飛び出したこの言葉は、何を血迷ったのか、激昂した挙句のものである。以前、他者から「あの人は、急に激しく怒り、とても怖くなったことがあります。」と、ある人物を危険視していた。  この人物が発した激しい言葉やそのトーンを検証すると、自分の脳内に激震が走り、品格のない罵言で、本人の怒りの激しさを表そうとしている。自分自身の正当化を最優先して相手を罵りたく

人が動けば、お金が動く。

 某市にある宿を訪ねた時の話。信頼できる方のご紹介だったので、その方に失礼なきよう、手土産を厳選し、約束した時間三十分前に到着した。  コーヒーが好みであると聞いていたので、数種類のコーヒー豆を手土産とした。とても喜んで頂き、その後、現地の観光振興についてサジェストを行った。  それから2週間後に再度打ち合わせをすることになり、足を運び入れた。すると、多忙な様子で、ほとんど話ができず、次週に日程が変更となる。  さて、1週間後に仕切り直しで足を運ぶことに。豪雨だったので

犯罪にならぬ犯罪の現実と恐怖

 現代社会において、報道を通じて伝えられる日常の事件や事故、それが犯罪の一端であることは周知の事実である。報道は限られた時間やスペースしか提供できず、日々起こる出来事の全てをキャッチすることは難しい。  また、ネット社会やSNS社会と言われる中でも、我々が把握できる情報は限定的である。グローバルな動きに関心を寄せているにも関わらず、全てを読み切るなどできない現実がそこにある。  筆者の知人の知人女性の経験が、この日常の犯罪の一端を象徴している。十数年前のことだが、女性が飲

一度刺した言葉の毒針

 アンガーマネジメントができない人は、自分自身が原因であるにも関わらず、時折、唐突に他者の心に言葉の毒針を刺すことがある。冷静な時であれば、決して使わなぬような罵詈雑言を発しては、さあ大変となってしまう。  電話であろうが、メールであろうが、何の根拠もなく相手を刺すような言葉の毒針は要注意だ。何故なら、一度刺した毒針をどんなに抜こうと(撤回)しても、相手の心に刺さったものがすんなりと抜けることはない。もし、抜けたとしても毒は残る。  ある日、ボランティアで行っていたことに

個人主義と利己主義の混同と勘違い

 そもそも、利己主義の対岸にあるのは利他主義である。また、個人主義の対岸には全体主義があり、利己主義とは次元が異なる。その程度は判りそうだが、一部の日本人は、欧米の個人主義を利己主義と混同、誤解している人がいる。  唐突に、「個人主義の時代だから、自分は個人として尊重され、自分が思い通りに遣ればいいんだ!」と、恥じらいもなく、勘違いや履き違えの持論を高らかに語り、周囲に迷惑をかける人がいる。  しかし、個人主義は自己中心的な態度を許容するものではなく、自己表現や自己責任の

善いものは善い、悪いものは悪いと、はっきり言える人間でありたい。

 世の中に理不尽なことが絶えないのは、標題のように「善いものは善い、悪いものは悪い」と言えない人がいるからだ。  現在、世の中を賑わしている、詐欺、贈収賄、大麻、性加害、危険運転、強盗殺人、強盗傷害、脅迫、恫喝、洗脳、痴漢行為、万引きなど、全て悪いと分かっていながら、事件が絶えることがない。  例えば、贈収賄事件を見れば、金銭を遣る側、貰う側。特に、公務に就く人間との金銭の遣り取りは違法行為と分かっているはずだ。しかし、悪いものは悪いと言えず、金銭に心が持って行かれるのだ

ネガティブ現象はコドナに関連して発生する

 外見は立派な大人だが、考え方や行動が未熟で、独り善がりな人々をよく見掛ける。  筆者はこれを大人になりきれない「コドナ」と呼んでいる。由来は、「コドモ+オトナ」の融合体としての新造語であり、決して差別用語ではない。  経験上、目の前にまとわりつくネガティブな現象は、しばしば、このようなコドナに関連して発生することが多い。  大人になりきれないこと自体は特に問題ではない。実際、純朴で素直な気質を忘れず大人になった人たちは、それなりに魅力的であり、無害である。  しかし

視野を広げて、思慮深く。

 今回は、「著作権侵害」について考えてみたい。  他者の写真や動画、その他創作物を無断で使用することは、「著作権法」に抵触することは、一端の大人であっても、1)知らない、2)聞いたことがある、3)悪いことだと知っている、4)後悔しているなど、本人からいろんな見解が出てくる。  「著作権侵害」を起こしてしまうと、著作者および著作権者が被害者として、違法行為に対する指摘があり、それに応じなければ、警察沙汰や裁判沙汰になる可能性がある。  1)知らないと答えた人は、一般的に「

我々の近くには、反面教師となる絶好のマテリアルがゴロゴロ転がっている。

 人生論や哲学の書物を読むよりも、我々の近くには、人生訓になるような、反面教師となり得る絶好のマテリアルがゴロゴロ転がっている。  筆者の場合は、二、三の企業を見ているだけでも、企業モラルの欠如や心無い役員の所業が反面教師のマテリアルとして、それも生きたマテリアルとして存在している。  また、不慮の事故にて被害者になったこともあるが、それ自体も、絶好の人生訓のマテリアルとして受け止めている。  従前のエッセイや記事でもお馴染みとなった「虚偽」という始末に悪いものが、人そ

虚偽に基づく訴状は成立しない。

 虚偽に基づく訴状は通常、成立しづらいものである。民事裁判において、原告が虚偽の主張で訴状を提起した場合、その訴状の正当性は疑わしいことがほとんどである。  特に、加害者と被害者がすり替えられ、悪質な原告(実際の加害者)が存在する場合、事態は複雑になってくる。このような状況では、被告となる側(実際の被害者)が誤解を受け、不当な非難を受けたり、被告が悪事を働いたかのように見えることもあり、実際には加害者の策略の犠牲になっていることを忘れてはならない。  ロシアがイスラエルの

言葉汚く、暴言暴力を振るう経営者。

 今の時代に、人格を疑われるような行為を繰り返す一人の経営者の存在を聞かされた。日頃からの言葉も汚いが、社員に手を出す経営者の実態である。耳を疑うほどのその所業に驚き、首を傾げてしまった。  激昂して社員に暴言暴力を振るう一人の経営者の実態を、以下の通りランダムに列記することにする。残念ながら、全て事実である。 1)社員への暴行  瞬間的に激昂し、目の前の社員に暴力を振るうのが常態化している。社員の頭を殴る、手を菜箸で叩く、顔を往復びんたする。 2)食い掛けを喰わせる  

「逆恨み」の危険性にご用心!

 人は考え方も異なり、行動も様々である。安直に自らのスタンダードで他者の言動を予測することは、誤解や誤評価を引き起こす可能性がある。  諍いが生じると、原因となった者と被害を受けた者が対立する状況が生まれ、これは非常に難しい状況に陥ってしまう。  しかし、諍いが解決したとしても安心できないのが、今回のテーマである「逆恨み」である。  諍いが収束した後、原因となった者によっては、他者の方が引き起こしたと誤解したり、穏やかな状況を保つことができなくなることも多々ある。  

「〇〇もどき弁当」は価値がない。

 厳しいことを言えば、以下の写真(1)の「天重」は食材の悪さが目立ち、外観は「天重」だが、中身は「天重もどき」となっている。  理由は、存在感のないエビの中身。そんな細身のエビがあるのかと驚くほどに痩せているものを、コロモで大きく見せ掛けている。  アスパラガスやレンコン、イカ、カボチャ、かき揚げは良いが、どれもこれも美味いとは言えない。救いは、タレはよくできている点であろうか。  写真(2)は、「カツ重」である。豚肉も分厚くソフトで、良い食材を使っている。しかし、弁当

集団心理・・・悪の道、皆んなで渡れば怖くない!?

 兎に角、悪さをする人は徒党を組む。そこで、集団心理の典型的な動きをするのである。老若男女に限らず、必ずと言って良いほど、悪さをする人は集団で動くことを好むようだ。  悪さをすれば罪となり、必ず、裁かれる。予想はつくと思うのだが、愉快犯であったり、虐めであったり、社会的に許されぬことを知りつつも、「この程度なら不起訴!」と、想定外の行動に出ることがある。  学生紛争最盛期の頃、山中で多くの学生がリンチを受けて殺害され、土中に埋められるという凄惨な事件が発生した。イデオロギ