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湯の街 山鹿 そぞろ歩き

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筆者の故郷である山鹿市(熊本県北部)。同市は、800年の歴史を誇る泉質抜群の天然温泉が自慢である。観光資源は無尽蔵にあり、勿論、温泉の『さくら湯』は見事な造り。また、坂東玉三郎公… もっと読む
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2022年10月の記事一覧

山鹿市の『一つ目神社』と『一つ目水源』。・・・一つ目の名の由来とは!?

 熊本県山鹿市にある、桜と蛍の名所『一つ目神社』と『一つ目水源』。  『一つ目』という名前の由来は、筆者が小学校の上田先生から聞いた伝説の中に、そのヒントが隠されていた。うろ覚えながら、数十年前の記憶を辿りつつ、以下に記したいと思う。 ※山の名称(うろ覚え) 『震岳』=ゆるきだけ 『不動岩』=ふどういわ 『権現山』=ごんげんさん  山鹿市街の真北には『震岳』(標高416.3m)が鎮座している。別名『山鹿小富士』と呼ばれ、美しい姿をしている。  伝説では、『震岳』が母。

期待した上内田神社の彼岸花は、カラカラ。・・・水田では、稲穂の頭が膨らんでいた。

 夏に戻ったかと思うほど、炎天下の撮影となった。  よって、昨年まで日陰で、しっとりとした彼岸花が撮影できる一押しの場所『上内田神社』へと車を進めた。  近づくにつれ、段々と不安になってくる。確か、昨年はこのカーブを曲がる時に左手に彼岸花の赤い花々がチラチラと見えたはずだが・・・。  案の定、今年は二週間ほど遅かったのか、完全に枯れていた。まだ立っている彼岸花もあるが、色褪せており、被写体としてはダメダメの状態。  周囲の水田を見回すと、既に稲刈りが終了した田もあり、

『栗尽くし団子』・・・熊本県山鹿市菊鹿町

 『栗団子』が正解なのか、『栗饅頭』が正解なのか分からないが、これは、山鹿市菊鹿町の或る農家のご婦人からお土産に頂いたものである。勿論、ご婦人の手作り『栗団子』だ。  今年は残念ながら有り付けなかったが、写真下のように、栗がびっしりと入った団子を食したことがなかったので、包丁で切った瞬間の団子の断面を見て、腰を抜かすほど驚いた。  熊本県は、県北の山鹿市や県南の人吉市などが栗の産地として知られている。団子の皮目にやや塩味があるので、中の栗が上品な甘みを引き出し、季節感漂う

熊本県が世界に誇る珠玉のワイン『菊鹿』シャルドネ・・・この香り、含み、そして喉越しをお伝えしたい!

 知人友人に伝えまくった、熊本ワインの『菊鹿』シャルドネ。フルーティーな香りに包まれながら、ひと口含めば、繊細な味わいが徐々に身体中に沁み渡る、極上ワイン。熊本県が世界に誇る、珠玉のワインである。  写真は、以前、取材許可を得て撮影したものだが、今にもワンボトルを選び、コルク栓をポンと引き抜き、トクトクとワイングラスに注いでみたくなる。色ガラスの透過や反射、映り込み。撮影が楽しくなる被写体でもある。  熊本ワインの商品群は、熊本市内のフードパル熊本の『熊本ワイナリー』と、

「山鹿豊前街道絵巻」が登録される!

マガジン「湯の街 山鹿 そぞろ歩き」で連載中の「山鹿豊前街道絵巻」を登録して頂きました。心より感謝申し上げます。 ▼登録されたもの

山鹿豊前街道絵巻(九)・・・OLD FRIENDS

 今回は『山鹿豊前街道絵巻』の番外編となるが、豊前街道(熊本県山鹿市)のメインストリートから、菊池川の対岸(南岸)にある鯉釣りポイントでの出来事をご紹介したい。  或る日、男性二人と遭遇した。釣れた瞬間の撮影許可をもらい、待っていると、10分も経たぬ内に、柔らかめの竿が弓形に撓った。  結構大物の鯉のようだ。仕掛けは、所謂『爆弾釣り』と言って、十数本の針を粘土状の餌で包み込むタイプ。川底にその団子状の餌(爆弾)を投げ込み、鯉が食い付くというものだ。  何度かリールの道糸

山鹿豊前街道絵巻(八)・・・芝居小屋 八千代座

 芝居小屋「八千代座」には、随分足を運んでいない。5年ほど行っていないのではないか。特に、コロナ禍となり、ほとんど通り過ぎるばかりで、立ち寄ることがなかった。  因みに、全国には11の芝居小屋が残されていると言う。「八千代座」以外は足を運んだことはないが、先々、他の芝居小屋の歴史や造り、仕組み、仕掛けなどをじっくり取材したいものである。 <資料提供:山鹿市教育委員会> ※25年前、山鹿市教育委員会現地にて資料提供頂きました。  熊本県北部の山鹿市。いで湯と灯籠祭り、装飾

山鹿豊前街道絵巻(七)・・・さくら湯界隈

 山鹿名物と言えば、『さくら湯』(山鹿温泉の元湯)、芝居小屋『八千代座』、『鞠智城跡』、そして装飾古墳『チブサン古墳』であろうか。  豊前街道を『有働自轉車』からスタートしそぞろ歩いていると、右手に酒蔵『千代の園』、そして、交差点手前右手に、日本伝統工法で建てられた重厚な建造物が見えてくる。それが、『さくら湯』である。  『さくら湯』は、道後温泉と関わりのある建造物としても知られている。実は、『さくら湯』の歴史は、寛永17年(1640年)の細川藩の山鹿御茶屋に遡り、明治期

山鹿豊前街道絵巻(六)・・・豊前街道をそぞろ歩く

 『有働自轉車』を出て、豊前街道をそぞろ歩くことに。方角としては北へ向かい、『さくら湯』を目指す。昔の街道=今のメインストリートを歩くのは、何となく不思議な感じである。当時は、土で固めた細道であったろうし、その頃の人々は、皆、草鞋(わらじ)を履いて歩いていた。  漆喰固めの家々は、100年以上の昔に建っていたものばかりだが、街灯はガス灯のイメージデザイン。江戸から明治、大正、昭和、平成、そして令和へと、この道沿いの古民家や商店は、長きに亘り、山鹿の人々の生活を見守ってきたに

山鹿豊前街道絵巻(伍)・・・有働自轉車

 写真下の右端が、90年の歴史を誇る『有働自轉車』の店舗である。  この豊前街道を奥へ(北へ)歩いて行くと、江戸時代にワープしたかのように、漆喰壁の日本家屋が立ち並ぶ。  ここが、湯の街 山鹿のメインストリート入口となる。下町→中町→九日町へと続く。  夏は浴衣でそぞろ歩きも楽しいものである。スマホや一眼レフのお散歩カメラを持って、是非、湯の街 山鹿を散策いただければと。 ▼有働自轉車(有働サイクル) 〒861-0501  熊本県山鹿市山鹿1777 TEL 0968-

『助成金』は、小遣いではない!・・・貴方たちは、大変な勘違い、履き違えをしている!

 つい先ほど、『note』のマガジンに『湯の街 山鹿 そぞろ歩き』を追加した。これで、15のマガジンとなったが、実は、今回のマガジン追加には理由がある。  一つは、筆者の生まれ故郷であり、転勤族であったために、故郷への心は人一倍強いこと。二つは、或る女性経営者(50代)との会議で絶句したこと。三つは、あちこちの『道の駅』が荒んでいること。  一つ目は詳細を説明する必要はないが、二つ目、三つ目はしっかりと苦言を呈しておきたいので、ここで改めて書き記すことにした。 <『助成

山鹿豊前街道絵巻(四)・・・有働自轉車

 90年の歴史と伝統を受け継ぐ、父と息子。父親はご高齢だが、腕の筋肉や浮き出した血管を見ると、流石に職人の腕をしている。  黙々とタイヤや自転車全体のバランスなどをチェックしては、パンク修理や各所の調整を行う職人。  とても地道な作業であるけれども、AIロボットでも簡単にできる作業ではない。リム一本一本のズレや歪みの微調整も、この職人のセンサーには敵わない。  熊本県山鹿市の豊前街道沿いにある、老舗『有働自轉車』。この通りは、観光客がそぞろ歩きする、観光メインストリート

山鹿豊前街道絵巻(参)・・・有働自轉車

 有働家の裏庭での餅つきが終わり、さてさて、餡餅を作ることに。既に、胡桃より少々小さめに、小豆の餡玉が可愛く丸められていく。餅つきは、男性陣の担当。そして、餅を丸めるのは、女性陣の担当。きな粉も準備万端である。そして、勝手ながら、試食は筆者が担当することになっている。  餅が、親指と人差し指で作った輪っかから、ニュルンとてるてる坊主のように飛び出してくる。流石に、母の手つきは熟練した匠の技。何度やっても、同じ量の餅が飛び出してくる。きっと、火傷しそうに熱々なのだろうと。

山鹿豊前街道絵巻(弍)・・・有働自轉車

 連載第二弾は、『有働自轉車』のご自宅裏庭での餅つきと、餅と餡餅作り。 ▼過去記事から引用  スマホに溜まりに溜まったメールを読んでいると、『有働自轉車』(熊本県山鹿市下町)の息子さんからお礼のメールが2通届いていた。最近はスマホのメールをフル活用していなかったので、大変申し訳なかったが、遅ればせながら、慌てて返信。  天候が悪く、取材予定を組んでいなかったが、手土産持って、国道3号線を北上し、『有働自轉車』へ向かうことにした。  実は、有働家の年末に杵つきの餅が余り