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西田親生の辛口コラム

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世の中は理不尽なる事象が多い。燕雀であるより、呑舟であれ。常に自然体にて威風堂々と、気配りは繊細に。胸襟開いて語り合える心友との出逢いは、善き人生の道を拓く。改革は、若き人たちの… もっと読む
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2024年3月の記事一覧

真偽が混沌と共存する世界では、虚偽が支配を強めている。

 プロパガンダに満ちた国家において、独裁者やその側近、そして不義の政策は、プロパガンダを不可欠なツールとして使用し、これをウィルスのように活用している。  プロパガンダは、真実と虚偽が一体となった世界観を創造し、無実の国民の心理に侵入し、従属を正当化している。操り人形師が恐怖を植え付け、人形を操ることで、虚偽によるマインドコントロールを強行し、奴隷状態に落とし込んでいる。  自由を謳歌する国々においても、虚偽は無数に横行しているが、これらは多くの場合、民衆の生命を直接奪う

思わせぶりは罪なこと

 人と会話を交わしていると、好意なのか演出なのか分からないが、相手に期待を持たせるような美辞麗句を並べ立てる人がいる。いわゆる、思わせぶりの前座のところである。  思わせぶりの言葉を真に受けると、誰しも期待が大きく膨らむに違いない。仕事において新たなプロジェクトの立ち上げであったり、プライベートでは旅行予定だったりと、小さいながらも夢が広がる。  ところが、思わせぶりを常習としている人は、自分自身を善人として演技するために、恣意的なリップサービスであったり、事実とは真逆の

高級酒を提供し利益増を狙う悪質商法

 過去を振り返ると、パーティーを主催している際に、3度も支払いに関するトラブルが発生したことがあった。  一つ目は、かつて新聞社に勤めていた頃、父の後輩から還暦パーティーの企画(食事、料理、イベントなど)を依頼され、筆者が個人的に手配したのであった。  参加者は約200人で、ホテルの大宴会場を確保し、料理や飲み物、余興の企画書を作成し、総経費を逆算して一人当たりの会費を算出した。各参加者から徴収した金銭を、筆者がまとめてホテルフロントで支払うという手順であった。  パー

距離感が難しいSNS・・・(独り言)

 熱心な「note」の読者の方の中で、何度もネガティブなコメントを記入される方がいらっしゃる。それも、頻繁にチャット感覚でコメントが入り、挙げ句の果てにはネガティブな相談事のようになっている。  筆者はICTやホテル文化&食文化などの企業戦略コンサルタントを本業としており、コメント欄は相談箱ではないと考えている。あまりに突っ込んだ、それもネガティブな個人的な相談事となると、どうしても一歩、二歩引いてしまう。  加えて、個人的な恨み辛みなどが混入され、憎しみに満ち溢れたコメ

相続時に心無い親族が豹変する

 セレブな方は、相続において諍いが起きぬように、財産を公平に子供達へ生前贈与するか、または、一切財産を残さず寄付する方も多いと聞く。  個人的な話で申し訳ないが、筆者の父親は遺言書の中で「実家はお前に維持管理してもらうが、金銭は子供達に一切残さないので悪しからず。庭は放置すると薮になるので、要注意。」と書き記していた。  金銭を一切残さぬと断言しているところが、ケチなところも見え隠れしており、また、闘病中であった兄(故人)へ、数回にわたり現金を生前贈与したことも、他界する

業務報告は文字化が常識・・・

 仕事上で業務報告は指示されずとも、文字化して伝えるのが常識である。それを、電話やSNS電話にて口頭で伝えても、価値もなく、意味もない。  何故なら、後々、新たなプロジェクトを立ち上げる場合に、時系列で経緯を検証することで、正確に把握ができ、修正も容易となる。  また、口頭で伝えるだけで文字化しない人間は、行き当たりばったりの「虚偽報告」となりがちなので、あらゆるところに支障が出てくる可能がある。  「虚偽」は遅かれ早かれ炙り出されるのであるが、「虚偽」で逃げる人間の常

怖いもの知らずの20代、人生を切り拓く最強の武器。

 これはあくまでも、筆者個人の若き頃(新聞社時代)を思い起こしての話であり、26歳から28歳の頃が我が人生において、最高にアグレッシブに動いた時期である。  企画担当であり、約1年間を、過去10年分の先輩諸氏が残した企画書を紐解き、全て読み切った。クラシック音楽業界、歌舞伎などの伝統芸能、ハイテク業界など、カルチャー色に埋まってしまった感がある。  地方紙といえども、県内部数では朝刊40万部、夕刊15万部と、県内新聞の六十数%のシェアを誇り、全国地方紙でもベスト3に入って

自己認識の重要性

 自分自身を深く理解することは、時に痛みを伴うが、これが成長につながることも事実である。  人はしばしば、自己肯定的なスタンスをとりがちだ。これは一見ポジティブであり、好ましいように思われるかも知れないが、その反面、自分の欠点や課題に目を向けることを怠ることになる。  親や友人との意見の違いから生じる議論も、自己の理解を深める機会となり得る。しかし、議論が論理的かつ整合性が共わなければ、持論は容易に論破されてしまう。  素直な人は、自らの誤りを認め、考え方や受け止め方を

自己改革ができない人は、一部の自己否定ができないから。

 世の中に、百点満点の人はいない。人は己をよく見せようとしながらも、常に、自分自身を欲目で見てしまいがちである。それが、己スタンダードである。  しかし、盧舎那仏開眼ではないが、眼を開いて、視野を広げると、己スタンダードの窮屈さに気づかざるを得なくなってしまう。  そこで、自己改革が必要となってくるが、己スタンダードの一部を否定することに躊躇し、折角のタイミングを逸して、変化、進化に至らぬケースが多いように思えてならない。  多様化の時代となれば、どれが正しい、どれが間

人身事故を、情けで物損にしてはならない。

 親しい知人が、生まれて初めて交通事故に遭った。バイク通勤途中で、後期高齢者(90歳近い年齢)が運転する軽トラが一時停止を怠り、真横から飛び出し、彼のバイクに追突したという。  骨折はしなかったが、バイクを運転していた彼はバイクごと転倒。一瞬、呼吸が止まったという。また、分厚い手袋が濡れており、それを見ると血が溢れて出ていた。結局、指の肉が裂けた状態で救急車で病院へ。  彼は会社の中核で活躍する人間だが、病院から自宅へ戻ったのは良いが、会社を長期休むことはできず、3日後に

仕事も人生も、死に物狂い。

 ある人が、ポツリと言った言葉がすこぶる印象的であり、人生に対する真剣みが伝わってきたのであった。それは、「仕事も人生も、死に物狂い。」と言う語りである。この言葉は、心に刺さり、自己反省につながり、人生に一所懸命な姿を重きものとして受け止めた次第。  三大疾病を経験し、地獄のような病との闘いを制し、現在に至っている人である。筆者は大病の経験もなく、インフルエンザもコロナも感染したこともなく、病との闘いが如何なるものか正確には予測できないが、万が一、自分自身が三大疾病となれば

人工の調味料や甘味料、着色料など必要不可欠なのか!?

命をつなぐ食人工の調味料や甘味料、着色料など必要不可欠なのか!? 「命をつなぐ食」をテーマに、「ホテル文化と食文化」を専門とする筆者としては、人工的に生成された調味料、甘味料、着色料など不要ではないかと考える。  体裁を考える日本人の拘りと言えば聞こえは良いが、所詮、似非としか言いようがないものが、世の中に蔓延っている。  昭和を思い起こせば、チクロ(砂糖の30〜70倍の甘味)が砂糖の代替品として使われていたが、発癌性が高いものとして使用禁止となった。  また、かき氷

調子が良い時に集まる人には要注意!

 これは、あくまでも筆者の体験談である。  筆者のモットーは、熊本県内において、最先端に関する全て事業を逸早く着手し、軌道に乗せることである。現在もそのスタンスに変わりなく、常に、先手必勝のベクトルにて動いている。  本格的な3D CG(動画)事業は1991年に、インターネット事業は1995年に、PodcastsやUstream、仮想現実世界 SecondLifeなど、全て、他の追随を許すことなく、先手必勝にて事業化してきた。  紙媒体や電波媒体のメディアも、筆者が新た

今も残る悪しき慣習・・・肥後の引き倒し

 時代錯誤も甚だしい慣習である、「肥後の引き倒し」。すこぶる閉鎖的で、第三者の功績などを認めず、根拠なき誹謗中傷を行い、徹底的に邪魔をして潰すという、とても熊本県民として恥ずかしい慣習が残っている。  Wikipediaにも以下の通り掲載されており、情けない限りである。  また、第三者の功績だけに限らず、何かにつけ、初手から否定的であり、その事実なり人なりを素直に認めることもなく、虚言を発しては、上から目線で高圧的にターゲットとした人物を完全に潰したがる。  結果的に、