見出し画像

梅雨が明けて

 叔母の納骨に立ち会ってきました。

 まるでこのために梅雨明けさせたようなタイミングで、雲が多めでも空は青く陽射しは強く。

 納骨は午後からの予定で、夫は朝一で歯医者だし、T某は用事があって納骨は不参加。天気もいいし、今日は時間まで洗濯に布団干しでもしてようと思ったら、

「歯医者終わったら九十九里まで行こう」とか言い出し始める夫。

 お気に入りのお菓子の直売所があって、私が休みの時しか行けないから(夫は服用している薬の制限で車を運転しない)なんだけど。

 太平洋側まで片道一時間かかるのに、納骨の予定もあるのにただ行って帰ってくるなんて嫌だよ。と即答。ていうか馬鹿なのか。こんな時に足伸ばして途中でなにかあったらどうする気なのか。

 前々からおかしいとは思ってたけど、そろそろ本格的に今後を考えなければいけない時期なのだろうか。基本無害だけど発想がちょくちょくおかしい。そのうち私が関わらないところでとんでもない事をやらかしそうで不安で仕方ない。

 朝からいちいち不快な思いをしつつ、しかしまぁ、こういうとき、脳内の叔母が苦笑いしながら、「ちかちゃん、こんなしょうもない人たちだけど私に免じてよろしくね」と最近はなだめてくれるので、それでなんとか持ち直す。

 結局歯医者が長引いて、必要な買い物に出たくらいで済みましたが。

 叔母の墓は、うちから車で三〇分ほどの、山奥と言うほどではないけどわりと中心地から離れたところにありました。「地域名」「霊園」で検索すると三カ所ヒットしましたが、その中の比較的新しいところのよう。

事前の、叔母の娘さんからの連絡では、「暑いので平服で来てください」「私たちも暑いので喪服は着ません」とのことで、納骨式といってもお坊さんも入らない短時間のものだというので、私たちはジーンズにTシャツという本当にいつも通りの服でいきました。葬儀と違って、そんなに参加しないんだろうなと、漠然と思ってたんですが、

 入り口を見過ごしてUターンしてしまった程度で、スムーズに到着したところ、私たちの前をぞくぞくと駐車場に入っていく4・5台の車。

 一番遅れて車を入れると、やっぱり叔母の親戚の一団です。ざっと20人近く。叔母の娘さんご一家はともかく、こんなにとは思ってなくてびっくり。しかも半数は、喪服ではないけど黒いワンピースだったりスラックスだったりで。いやあ、まだまだ社交辞令というものを読み切れませんでしたね。

 まぁ、あまりにも場違いならすぐ帰ればいいさと、すぐに開き直って車から降りる。どうせ私たち、このグループの中では異端なのです。

新しい霊園

 樹木葬、というのは聞いてました。

 霊園の樹木葬というと、大きな木の根元にシンプルに埋めていくのを想像します。きっと大きな木なんだろうな、なんてイメージがありました。

 しかし、この霊園、比較的新しい上に、敷地もわりと狭く、管理棟から全体が見回せるくらい。アパートが二棟か三棟立ったら塞がってしまいそうなちんまりした場所です。

 墓石も、昔ながらのものよりも、今風の、背が低くて横に広い、石碑風のものが多い。「感謝」とか、「絆」とか、横文字だったりするものもあって、みんな比較的新しく、埋まっていない区画もあります。

 叔母の遺骨を、麻袋におさめる作業を待つ間、近くの区画を観察していましたが、いやぁ、勉強になりますね。

 斬新だったのは、薔薇模様の丸いステンドグラス(らしきものが)はめ込まれた、おしゃれなもので、墓石の周りに敷かれた石も、一般的な白黒の石ではなく、色とりどりの天然石でした。

 一方で、新しい霊園なので、どっしりした大木というのは敷地内には見当たらない。ただ、直径二メートルくらいの丸い植え込みの中心に、植えられて10年も経っていないような細い木が立っていて、周りに小さなプレートが等間隔に並んだものが、4つから6つ並んでいる区画が二カ所。木ではなく、オブジェのような石が立っているところもあります。

 もう少し観察しようと思った所で、準備が整い、叔母の買った墓の周りに案内されました。

最後は土に還る

 叔母の墓は、若い桜並木が近くにある、敷地内の東寄りの場所でした。

 丸い植え込みの中心に木が立っていて、その根元は人工芝。置かれたプレートから、10~15区画くらいありそうな感じでした。

 「(叔母の苗字)家、(叔母の娘さんの苗字)家」と連名になったプレートと、墓誌というんでしょうか、そこに入るひとが刻まれたプレートと。

 周りの区画の方の没年もわりと近く、令和の方も多かったです。

 で、家名のはいったプレートの更に根元側、人工芝一枚分をどけた場所に、骨をおさめる穴が掘られています。深さは骨箱ひとつ分くらい。そして、本当に「穴」です。

 そのなかに、麻袋に入った遺骨を埋める。土をかぶせ、人工芝をかぶせる。終わり。

 次に家族が亡くなると、先に入った人の上に同じように、麻袋に入った骨が埋められます。土に還りながら、重みでどんどん押されて、最後はみんな土になる。

 小柄な叔母の骨は、人の頭よりも小さいくらいになっていました。

 もう泣くことはないだろうと思っていたのに、穴に入れられて土をかぶせられていくのを見たら涙が止まりませんでした。

 最後に人工芝を乗せてならして、その前でお焼香をして、正味三〇分もかからなかったような気がします。

 不思議というか、この間、空に掛かった雲がいい具合に陽射しを遮ってくれて、あまり暑い思いをしなくて済んだこと。

 そして、焼香が終わって、最後に祭壇と墓所の写真を撮らせて貰った辺りから、さーっと雲がとれて陽射しが照り始めたのです。

 まるで、「私、早く散歩に行きたいから、みんな帰っていいわよ」って、叔母が言っているみたいでした。

 そのあとは、箱詰めのお菓子の他に、叔母が最後に植えたジャガイモとたまねぎをいただいて、解散。

私好みのお仏壇

「仏壇も買ったし、見に来てね」

 と、叔母の娘さんが声をかけてくれました。

 てには小さい、ルビー色のツボ。

 分骨して、一部を仏壇に置くのだそうです。

 ショッピングモールの仏具専門店とかをのぞくと、今は分骨用の骨壺、とても可愛いものが多いです。蝋燭も、食品サンプルみたいなのとか、缶ビールを模したものとか、いろいろあって楽しいくらいです。

 叔母は、墓はあとの人が困らないように買ったのだろうけど、仏壇もこだわるようには見えなかったので、娘さんが自分の好みでいろいろしているのでしょう。

 墓も、仏壇も、生きている人のためのものだと私は思ってるので、お財布が許した上で、それで慰められるのなら、いいと思う。

 夜になって、娘さんからラインでメッセージが来ました。

「母が気に入ったお墓に来てくれてありがとう」

 少し考え、

「散歩しやすそうないい場所でしたね。(叔母)さんが張り切ってるのが目に見えるようです」

 的なことを返したら、

「そこまで考えなかった! 確かに散歩に良さそうな場所ですね。想像したらほんわかしました」

 出来ればそのお散歩に、たまにはうちの母も誘ってくれればいいなと。

 焼香の時にそう頼んだのは、さすがに内緒です。

電子書籍の製作作業がんばります。応援よろしくお願いします。