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私は何者なのか?肩書きは?を友だちと考えた

先週の函館HIFさんのシンポジウムの記事が北海道新聞に掲載されていました。

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内容はとてもわかりやすかったのだけど、ひとつ引っ掛かったところがあったのでした。

**ずばり、私の肩書き。 **

「被災地の状況などを伝えるラジオパーソナリティ宍戸慈さん」という枕詞。

震災をきっかけに北海道に移住して以来、北海道新聞さんには幾度となくお世話になっていて、何度も取材をしていただいています。

その多くは、原発事故や震災のその後の暮らしについて。だからもしかしたら、北海道新聞さんの中ではそんな認識が定着しているのかもしれないし、何より分かりやすい。だから、仕方ないと思うのだけれど、、、

今回のシンポジウムではほとんどその話題には触れていなかったこと、自分の中ではそこは私の中の一部でしかないという認識になっていることもあり、やはり引っ掛かったのでした。

信頼できる先輩に話したところ

「自分で新たな肩書を作るしかないかもね」と。

そうなのです。編集者、ラジオパーソナリティ、ピラティスインストラクター、パネラー、福島女子の団体の元代表、地域おこし、二拠点居住、オルタナティブ教育の実践者、エアビーホストなどなど。

長年、私のやっていることって多岐に渡り過ぎていて、伝えづらい、分かりづらい。

「私って一体何者なの?」という問いは私自身の中でも、事あるごとに浮上する懸案でした。

「社会が求めていることをも呑み込んでみるとでてくることかもね?」

先輩の言葉に「社会は私をどう見ているのだろう?」と真剣に考え始めました。

活動家とも言われたことがありました。

司会の仕事もあるけれど、パネラーとして登壇することの方がしっくり感じているし、反応もよいです。

私を理解してくれている人ほど、他分野のシンポジウムなどで話す依頼をくださいます。

その中でいつも私が話すのはこんなことです。

「いろんな問題があるけれど、結局は一人一人の意識、選択、暮らしと愛。その積み重ねが社会を作っています。だから、極論自分がどうあるかでしかありません。共に歩みましょう」

どの場へ行ってもシメは変わらないのです。

トモエ母でキャリアカウンセラーの親しい友人に話したところ

「慈ちゃんは慈ちゃんでしかないよね。そして、他分野を繋ぐ役割が職能だと思う。そこを体現する言葉として、コミュニケーターはありなんじゃないかな?」

**コミュニケーター! **

話す、書く、伝える。

こうして書いていることもそうですが、私からコミュニケーションをとりあげたら、死んでしまうのではないか?というくらい、大切なパーツである自覚があります。

そして、今までの人生の中で最も多く時間を費やしていることです。

「科学技術と普通の人たちを繋ぐ人のことを『科学技術コミュニケーター』と、呼ぶように慈ちゃんは何コミュニケーターか?だよね?例えば中田雅史は、テロワールなことを目指しているミュージシャンだからテロワールミュージシャンなんだよね?とっても分かりやすいよね?」

「それでいったら、社会と自分とをつなぐ訳だからソーシャルコミュニケーター???」

「ちかい!けどもう一捻りほしいね!仮置きにしておこう!」

中田雅史とは、友人で島牧村出身のシンガーソングライターで、テロワールミュージシャン。テロワールって何?と思うでしょ?そう思わせたらそこでもういい感じですよね。 (詳しくは、彼の会社「テロワールリンク」から)

自分を俯瞰する、自分を言語化する。

なんて難しいんでしょう!

もし、これを読んでくれている人の中に、それを自分だけでやろうとしている人がいたら、私は本気で止めます。

なぜなら?私はそれで何度となく失敗しているから。

なんなら、2人で、、、もあまりオススメしません。対社会に対してのことであればあるほど、多様な見方があった方がうまく進むのだなぁと感じられるから。

この続きがあるので、また後日書きたいと思います。今日は0時になるので眠りますね。読んでくれてありがとう。次も楽しみにしていてください。

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