もうちょっとだけ

 思い立ってFUKAIPRODUCE羽衣第25回公演『スモール アニマル キッス キッス』の全曲レビューを書きながら、そして読み返しながら、これはこれなりにめちゃくちゃ楽しいけれど、もっとちがうアプローチをしてみたいことがわかってきました。それぞれの曲を心ゆくまで味わい、全力で紹介したうえで、書きたいことはまだまだある。

アニマルたちのいるところ

『スモール アニマル キッス キッス』の開演する前、役者は子供用のビニールプールをたずさえて舞台にあらわれ、おのおの息を吹き込んでいきます。ペースの速い人、遅い人、遅れを気にして舞台袖から空気注ぎを持ち込み、したり顔で一気にふくらませる人。見ているうちに、ビニールプールがふくらみきるまで「はじまらない」ことがわかってきます。
 十分にふくらんだのを確かめ、子供のころなら2人3人で遊んでいたようなビニールプールに、小さく丸くなってようやくおさまるかれら。
 劇中で語られるように、野生の小動物には安心して休める機会や場所がそう多くないとききます。この世の居場所はなんとか自分で作るしかない。そうしてはじめて『スモール アニマル キッス キッス』は幕を開ける。

ビニールプール百景

 舞台上に並んだビニールプール。スモール アニマル キッス キッスのサビやアウトロのビニールプールが窮屈に見える激しい振り付けは、ひとりひとりが抜け出せない狭い場所でもがき苦しんでいるようにも見え、ビニールプールは必ずしも心地よいとはいえないひとりひとつの居場所として強く印象付けられます。主題歌であることを差し引いても、敷き詰められたように全編にわたって持続するイメージです。
 若いパパでは、同じ布団か隣の布団で眠っているであろう〈パパ〉と〈ヨシ坊〉のビニールプールが離れた場所に配置されていて、別れを予感させるとともに眠る〈ヨシ坊〉を抱き寄せる場面の孤独感が引き立ちます。
 ビニールプールが帯びている孤独の感じが少し変わって見えるのが、姉妹の島のお終いの歌のシーン。潮が満ちているときだけふたつに分かれる姉妹の島(のたましい)は隣同士のビニールプールにおさまっていて、周りに散らばるビニールプールもひとつひとつが島であるように思えます。そして、

❖「あっちの島も、そっちの島も、こっちの島も、海面から出たり入ったりしてるけど、海の底で繫がってる。」
◇「そっか、そうだね……島って、なんなのかしら?」
❖「島って、島じゃないのかしら?」
◇「あたしたちって、なんなのかしら?」

という会話。妹が〈じゃあ、ここの、ここの部分が、ついさっきまで、繫がってたの?〉と指して問うたように、ビニールプールとビニールプールのあいだ、舞台上のなにもない、ビビッドな色と存在感に気を取られて見えていなかったところに〈島〉どうしの繫がりが浮かび上がる。カーナンパの孤独を極めたようなシーンの直後に、ゆったりした優しい曲調にのって、レストランで食事する姉妹の姿を織り込みながら、舞台上の世界の印象がうっすらと上書きされていきます。まちがいなく前半のクライマックスです。
 検品ラインくだりでは、ついにビニールプールがそれそのものとして登場しました。検品ラインを流れるのは、ビニールプールを背中にかぶって、ビニールプールから足が生えたような姿になった役者たち。なかば擬人化されているようにも見えるかわいらしい振り付けは、検品するものと検品されるものが舞台に並立しているような感覚に繫がります。あるいは人間が人間を見るときも、チェックリストを抱えて欠陥をさがす検品のようなまなざしを持ってはいないか……全体がコミカルに演出されたシーンであるだけに、うすら寒い感じが際立ちました。
 midnight darlingのシーンでは、すべてのビニールプールがなくなった舞台は黒一色の、いわゆる素舞台に限りなく近い状態になります。カラフルなビニールプールの不在によってコントラストが生じて、色調をおさえた衣装になった2人の姿とシンプルな照明がとてもよく映える……
 夜中の虹の冒頭、労働?のシーンではビニールプールがふたたび「重たい何か」というあらたな存在感を得て舞台の中央に積み上げられ、塔のようにそびえます。全力の歌唱と限界の見えるような過酷な〈蛙〉の振り付けには、過酷な労働の立場から高い塔をみあげるような、地べたから高みへの志向があるのかもしれません。
 そして積み上げられたビニールプールの塔は、レイワダンシングクラブの終盤、暴力によって崩されます。その後、ダンスクラブの下っ端が舌打ちをしながら散らばってしまったビニールプールを片付けていくシーンに、苦々しさはありながらも、台無しになったところからでもやりなおせるというような感覚がじわじわ滲んでくるようでした。
 冒頭のシーンとラストシーンにわたるハナレバナレノアダムトイブにおいても、ふたりは別々の遠く離れた島にいるのです。お互いの姿はギリギリ見えても、声は届かない。冒頭のシーンでは呼び合うだけだったふたりが、ラストでは遂にお互いのほうに向かって踏み出します。(姉妹の島のお終いの歌におけるイメージの変奏を経ているから、)希望を力づくで芽生えさせてしまうようなシーンに、やはり心は動いてしまうのでした。

もうちょっとだけ

『スモール アニマル キッス キッス』を観ていたら、ある言葉を2度ほど耳が拾ってきました。1曲には終盤に1度だけあるCメロに、また1曲には最初のサビのいちばん盛り上がるところに。

もうちょっとだけ すごく眠いけど 触れ合ってよう
ねえさっきまで ずっと抱き合った(◇あなたは何処)(❖‪あなたは何処)
影も形も無い
「midnight darling」
生まれてきたらもう なんもかんも手遅れ
何語で悟ったって 何語で祈ったって
たかが知れるだけ
この世の終わりかたは どんなもんか全然わからんが
でももうちょっと感情が昂ったら知恵の輪が解けるかもしれない
「夜中の虹」

 あ、この語感を知っている、と思いました。これまでの糸井作品で何度か出会ってきた感じ、かれらが声を発するときの立ち位置のようなもの。

Let's go tomorrow!
あっでもその前に enjoy tonight もうちょっと……
星空は君のスカートで……
夜風は俺のスカート捲り……
今夜の君は一言で言えばそう……fluityだ……!
今夜のあなたはビタミン不足の……王子様☆
「果物夜曲」
もうちょっとだけ一緒にいれたら
世界のすべては噓でもいーよ
あとちょっとだけ一緒にいれたら
神様 世界は終わりでもいーよ 噓でもいーよ
「愛の花」(聞き書き)

「もうちょっと」「もうちょっとだけ」。今のこの一瞬を引き延ばしたい。永遠にしたい。不可能を可能にしたい。限界を超えてみたい。地べたから、それでも上を見上げたい……
 あえていうと、FUKAIPRODUCE羽衣において作・演出・音楽(作詞作曲)を担う糸井幸之介さんは、その作詞(あるいは詩作)にあたってずっとおなじ鉱脈を掘っているようにわたしには見えます。そのたびにいろいろなものを探しあて、磨きあげて示してみせるところにすごみがある。これからもどうかどうか、手を変え品を変えて掘り続けてほしいと思っています。

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