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私と神様の出会い

配車の仕事という仕事に胸を膨らませ出勤初日、、、環境に慣れるという事で一日中見てるだけ。電話が鳴っていても見ているという苦痛の初日でした。
まぁこんなものかと数日を過ごしました。
右も左もわからない。電話はかけてと言われてあちこちにご挨拶、、、情報って何?車両がいるのかを聞く、、、
今の私だからご挨拶なんて言ってますが、仕事の情報収集のお仕事だったと、当時の私は今の私に怒ると思います。
仕事の情報すらなく、どちらも聞く、、、
理解が出来ず。悲しい。意味がわからない。配車ってそもそもなんなんだろう?
半月ほど毎日ご挨拶の電話に明け暮れて、精神的にも疲れてしまい、心が疲弊していました。
そんな時、いつものようにご挨拶の電話をしていると、担当の方が電話で変わった途端に話している最中に電話をガチャ切りされてしまいました。えっ。そのままトイレに行き、職場で初めて涙が出てしまいました。私はどうしてこんな事されるのか。気持ちは一気に冷めました。面白くない。周りの音も何も聞こえない一瞬に大丈夫という声が聞こえて、気持ちを切り替えました。

それから、ノートに電話した会社の情報を毎日少しずつ集める事にしました。記憶力は割と良いと思っていましたが、ノートに書くという事を始めました。
そんな日々が数日すると、ノートを見直すと流れが見えて来ました。そして当てはめてみたら、仕事が1つ2つと決まる様になりました。
当時の私はこれが配車。よくわからないけれど、こんな感じで仕事するんだ。と、意味もわからず、出来た自分を褒めてました。今思い返すと、水屋の仕事。物流業界用語でいう、車両を持たないで配車をする仕事に携わっていた様でした。

その会社に入社して2ヶ月が過ぎた頃、売上も始めた頃の2倍、3倍、4倍と右肩上がりに数字が伸びました。ちょっと楽しいかも。ただ人間関係で意地悪という言葉が正しいのか?パワハラというのか?ランチに行くというのに、私だけ直前まで知らず、お弁当あるなら、行けないね。という事がちらほら。上司が私には声はかけるけど、行かない前提の時に一応伝えるという子供じみた事をされるという。面白い事をする事が頻繁にあるようになりました。私に起きる事は私に必要な経験だと思い気にする事もなく、日々淡々と仕事をしていました。
というのも、同期で車両を抱えていた方と同じ位の売上を水屋でやっていた様でした。それが面白くなかった様でした。

半年が経つ頃、私の仕事を評価してくれる会社の方と知り合いました。一度面接に来ないかと誘われました。水屋の仕事を一から教えてくれる様でしたら、行きたいかもとお会いする事にしました。

面接に伺うとすぐにでもと言われて、今の会社の事をきちんと退職してくるから時間が欲しいと話をして、2ヶ月待って頂きました。
嫌がらせやら、雇用形態やら、色々あったし、正社員だと思っていた話だったのですが、まだお試しの試用期間で次の更新でもまだ正社員にはなれない様なので、退職しました。
辞める時になって、私の意見を尊重するので、考え直す事を勧められましたが、私は一度辞めると話した事を変えるつもりはない。軽い気持ちで退職という決断をした訳ではないという事ですんなり退職。
8ヶ月ほどお世話になりました。

帰り道、以前の会社を辞めた時に感じたわくわくと、少し物流の事を知る事が出来たと、ここでの学びの終了を感じました。

これは今の私の原点の仕事と、私の黒歴史だと思っています。
地の時代を生きてきた、両親には転職というのはあまり良い印象が無いようです。
まだ風の時代の話もなく、地の時代なんて事さえ話題にもならない時のお話。
仕事中にも大丈夫。イケるというメッセージを頻繁に受け取っていたのは確かですが、そんな話をしたらまだ笑われて終わりでした。受け取っていたメッセージすらもたまたま運が良かった位にしか思っていなかったのは、私自身です。

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