解離性障害を認めることへの不安 認めないことでの不安2(障害者手帳)

病院というところは

今起こっているものを見てくれる


つまりその顕著な症状が今出てこなければ

診ようがないのだと思う


わたしには今たぶん

そんなに顕著な解離の症状がない

今後そういうときのためにと

いくら相談したところで無理なのである


だから解離かどうか知りたいならば

過去のトラウマに触れるべきかどうか

その1点


ーー

そういえばこういう記憶がある

障害者手帳をもらう もらわない

そんな話が中学時代にあったきがするのだ


わたしは母にもらいたいといった

母はそんなものもらったら

この先どうするつもりなのといった


どうするって保証が受けられるし

病気だってことが認知される

学校にだって行かなくって済む


そしたら将来どうするの?


それなりの人生を送る

だってあたし 普通じゃないんだもん


普通じゃないなんていうんじゃありません

母は私を叩いたかもしれないし

抱きしめたかもしれないし

いずれにしても 母は感情が大きく揺れ動くタイプだった


いや もしかすると私が薄いせいで

母としては普通だったのかもしれない


たまたまあんな目にあっただけで

あなたは至って普通の人間なのよ

ーー

いまではたくさんの人権がまもられるような動きがあるけれど

当時で考えたら精神疾患で障害者手帳をもらうなんて

とんでもないことだったのかもしれない


私は14、5年は住んでいただろう自分の部屋が

どんなものだったかなんだかちっとも思い出せない時があった

部屋についてあれこれ思い出したとき

このシーンをふと思い出した


私の学校には身体障害者の知り合いがいた

母もそのお母さんとも知り合いだった

その子は常にヘッドギアをして車いすに乗っていた

母はそれと比べたら精神障害なんて

何てことないと言いたかったのか

障害者としての道を歩まず

普通に生きる道を選ばせたかったのかもしれない

わからなくはない

勉強をするなどの能力に異常はなかったと思う


でも将来なにかあったらさあ

そういう手帳とか あったほうが便利じゃないの?


ママが絶対守ってあげるから


でもママだっていなくなるかもしれないじゃない

その時放りだされたらどうすればいいの?


そうならないようにする


そんな会話があったようにも思う


でもほんとうにこんなはなしあったのだろうか?


弱い私が自分を病気だと思い込もうとして生んだ

夢とか幻想とか妄想の記憶なのだろうか


ーー

ずうっと年金手帳を見るたびに

何とも言えない気持ちになっていた

何の役に立つんだろうこの手帳


20の頃わたしは年金手帳を手にした

「なんかさ なんかなかったっけ こういう手帳

手帳といえば母子手帳だっけ なんだっけ?」

わたしは手帳に執着していた時期があった

もしかしたらもらえなかった

障害手帳でも探していたのだろうか


でもまさか そんなこと


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