解離性障害を認めることへの不安 認めないことでの不安2(約束の人)


3.11のころの頭の中の声は

自分が目の前にいるその人を「約束の人」だと思うのなら

声をかけろと指示をだした

そしてほんとうに見知らぬ人に声をかけた日があった


その頃私にはその約束の人が誰だか分らなくて

その人をひたすら探していた


そのときは 約束の人と約束した場所は神社だと思っていたせいで

その場所に思い出のある二人が対象になっていた

そして記憶探しの焦点もそこに絞られた

たしかにその場所はキーポイントだったと思う

ただポイントにする人が間違っていたのだと思う

今振り返ると 悲しいくらいに見当違いで笑える


年末に差し掛かったある日

その記憶の中の彼に雰囲気が似ているという理由で

私は頭の中の声にしたがって

ただ私の中で雰囲気が似てると思うだろう

他人に声をかけた

宗教の勧誘とでも思われたのかもしれない

その日わたしは二人の人に声をかけた

「もしかして○○ですか?」

そんな声のかけ方だったと思う

当然相手はしってるわけもなく

さぞかし怖い思いをさせてしまったと思う


当時は私はその人の顔がちゃんと思い出せないと思い込んでいた

写真も持っていないせいで

少しでも似ている人はすべてその人かもしれないと思っていた

それは頭の中の声が

「身近でいつも見守ってくれいている」といったせいもある

頭の中のいう身近な人 というのは

そこら辺を歩く人ではなく身近な存在という意味だったのかもしれない

頭の中の声についてそう言えるのは

私が解離性同一性障害と思ってるからいえることだ



わたしにはむかしから

不定期に年末になると情緒不安定になるというイベントがあった

特にカラオケで歌ったりするとかなり情緒不安定になる


付き合っている彼に突然

「とても信じてはもらえないだろうし おかしい話なんだけど

誰かはわからないけど頭の中で声がする

私のことを真剣に呼んでいる人がいて

とにかくその人に会いに行かなければならない」と

突然憑りつかれたように言い 泣き出すというものだ


「とにかく自分には約束している人がいて

だから今すぐ出かけさせてほしい もしくは別れたい

もしかしたらその人は死んでるかもしれなけど

でも会いに行かなければいけない

それにまず 会えるかわからなくても

そこへ行かなければいけない」 

というふざけた話を

本気で泣きながらするというものだ


少なくとも3人の違う彼に同じような話をしている

3.11前後の年の瀬にもやはりそれを言って

本気で神社にいってしまった


「頭の中の声が思い出せないけど誰かと約束している」

そう話し出す自分とそれを遠くから見る自分

勇気をもってやっと言い出せたことを

満足げにする自分も見える

頭の中で会議をして見守るような感じがあった気がする

「やっと勇気を出してほんとのことが言えた」

誰かがそう思った気がする

「おかしいと思われたっていいや」


それは最初に封印したわたしなのかもしれない

彼女はいったいどこで時間が止まっているのだろうか

でもたしかにそれは

いまのあたしではない記憶の持ち主だ

きっとなにか大切な約束をして

その記憶だけを大事にしている子

その自分にまだ会えていない

それがときに頭の中を支配してしまうんだろうな


解かりづらいのは

それが男の人の声であるからだと思う

わたしがわたしに語り掛けてくれれば

まだいくらか混乱を防げると思うのに


現実のわたしはあまり女の子と仲良くできなかったせいで

イマジナリーコンパニオンに

男の人を多く持ってしまったのかもしれない


自分が解離性障害であるという可能性を受け入れたら

約束の謎も統合性失調症のなぞも 

自分の中で少し解決する


当時のわたしにその告白をされた彼らは

どんな目で私を見ていたのだろうか

そのうちの一人は

本気で病院にいってくれ と訴えていたと思う

真っ赤な目をして

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