解離性障害を認めることへの不安 認めないことでの不安2(ノートと誤認)

特定の人を

①別の人と誤認して記憶する

②その人だけ記憶がない

③②のせいでその人だけ認識することができない


とある日の記憶のせいで(それだけではないかもしれないけれど)

全く存在がなくなってしまった彼がいる


わたしとノートの付き合いは思えばきっと長いものだと思う


自分の記憶の整理のために

たくさんのエピソードを書く


でもそれを始めているうちに潜在的に

そのまま私が死んだとき(主に記憶)

もしくは呆けたときの心配をすることになる


最初に始めたときのルールが

きっと厳格に守られていると思う

ただ毎回 前回のノートのことは忘れている状態で

新鮮にノートを始めていると思う

無意識のうちにルールだけ残っているのかもしれない


そのうちにかつてもノートをしていたことに気付くのだと思う

どこかでまとまらない記憶に不毛さを感じるのか

それどころじゃない現実に引き戻されるのか

記憶そのものに恐怖を感じるのか

なにかによってやめるのだと思う

そしてノートも厳重に捨てる


とにかく万が一にもそれを見た人が

あいまいなあたしの記憶のせいで迷惑しては困ると思い

よくわたしは名前をかえたり

イニシャルで表記したりしていた

でもそれはそれで新たな厄介な問題を引き起こしている


わたしにはたまたまKという知り合いが多く

すべてがKだらけで

その時点ではわかっているつもりが

読み返すと混乱することがある


カウンセリングノート


仮に中学のころそれをしていたとして

やめた理由はその記憶が間違っていた時も

それがのこってしまう恐怖からかもしれない


私の中で忘れてしまう現象は

人格の交代とか解離というよりは

痴呆の現象の方を近くに感じていたのだと思う


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