解離性障害を認めることへの不安 認めないことでの不安2(統合性失調症とノート)
わたしは当時カウンセリングを受けていたかもしれない
情緒不安定だったか自律神経失調症
そんな風に言われていたと思う
ノートの作業はきっと中学生の頃にもやっていて
何を発端になのか不定期に行われるようだ
それはわたしにとっては重要機密らしく
中学生だった当時は
ピアノの蓋の中に隠したり
洋服の引き出しに隠したり
お風呂の時にもタオルの下に隠しておく
という徹底ぶりだったと思う
捨てる時は厳重に捨てる
それがルールだ
1度目が中学の時だと思う
それを焼いてすてたときの
心象みたいなものをおぼえている
焼くことを悩む私 それしかないと思う私が見える
ノートの束がパラパラと広がりながら
グレーになっていき
紙の形でピタッと灰になる瞬間がある
そして崩れる直前
文字が一度炭化して大きく浮かび上がる
あたしはそれが言葉自体のが訴える魂みたいに見えた
鉛筆で書いた文字だからだと思うけれど
その文字が自分の魂の叫びに見え
ひとつ残らず覚えていようと思うけれどままならず
心が死んだように泣く
実際それが消えたらその記憶が消えてしまうのを
もやしていた私は知っていたのだと思う
でも燃やさなくてはいけない
そのころも というより
そのころからの名残だろう
私は気が付くとノートをはじめ
呆けてしまったら何を言い出すかわからない時のために
またそれを捨てる
そのくりかえしなのだ
ワープロの時もあった
それはきっと短大のころ
23,4の 販売員をしていた頃も
それをしているかもしれない
目の前にグラウンドが広がりその奥には
電車が走る姿が見える場所に住んでた時も
ノートを書き 捨てている
そしてあの3.11のころ行ったノート
それだけが残っている
多分それを残していられるのは
たぶん事実でないからだ
ノートの束をいつも気にしていて
捨てる場所をうろうろと探そうとする自分に
前にもそんなことがあったと気づく
ところであたしは
事実を葬る気でいるのだと思う
本当に近いものほど捨てている気がする
たぶん私にとって一番大事だったのは
結局灰にしたノートなのだと思う
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