ヨーロッパの古代~中世を一瞬で
●ヨーロッパの中世とは
西ローマ帝国滅亡から東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルをオスマン・トルコが征服した年まで。(476~1453年)
●アレクサンドロス大王の遠征(前334年)
ギリシアのポリスが解体され、ヨーロッパと中央アジアが繋がるヘレニズム時代が到来する。
アレクサンドロス大王率いるマケドニアは隆盛を極めたが、王の死により空中分解。以後ローマ帝国によって地中海世界が支配される。
●ローマ帝国におけるキリスト教の国教化(380年)
前4世紀にイエスが誕生。
キリスト教がローマ帝国における国教化によって地中海周辺に広まり、その後、9~10世紀にはゲルマン民族にも浸透した。
●哲学の動向
ローマ帝国における国教化から、ゲルマン民族に浸透するまでの間に、新プラトン主義、ヘレニズムの人々から伝承された哲学が広まる。
アウグスティヌスなどに代表される「教父」などによって、徐々に、哲学はキリスト教を理解するための道具として扱われるようになり、キリスト教神学の傾向を強めていく。
教義の解釈の抗争である「普遍論争」もこの時期のものである。
11世紀になると、十字軍運動(11~13世紀)によって、異端として恐れられていたアリストテレス哲学がもたらされる。
これは、トマス・アクィナスによって、キリスト教、プラトン哲学と調停され、「神学の婢」といわれる中世哲学が体系的に成立する。
一方。トマスによる体系化は、ドゥンス・スコトゥス[1]やウィリアム・オッカム[2]といった人々によって、キリスト教神学とは別方向に進む。彼等は、現実に存在する個体や個人を重視する思想を展開している。
[1] ドゥンス・スコトゥス(1265/66~1308年):トマス後のスコラ哲学の正当な後継者。存在が個物においてのみ成り立つと考える。必然的である自然と、必然的でない意思を分けて捉え、個人の自由意志を尊重するような思想を展開する。
[2] ウィリアム・オッカム(1285頃~1347年):イギリスのスコラ哲学者。普遍は、人間の心の働きによって生じる個物の抽象であるとした(唯名論に近い)。また、アリストテレス的自然学とアウグスティヌス的信仰を共に論理的に整備し、両者を別の領域に振り分けている。
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