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違うことを苦しみにする必要はない。違うことは恩恵だということを教えてくれた人

同世代のちょっとだけ年下の友人J氏が亡くなったという知らせを受けて、その知らせを届けてくれた友人Kと献杯をした。
せっかくならと私と Kと亡くなったJでよく連んでいた三軒茶屋で飲もうということになり、久しぶりに三茶へ向かった。

もう私たちは決して若いとは言えないが、死ぬにはまだだいぶ早い年代だ。それでも、コロナ渦になって、突然死した友人はJで2人目だ。朝、ベッドの上で奥さんに発見される。2人ともそんな亡くなり方だった。

私の人生の中でどうにもこうにも行き場のない閉塞感に苛まれていたのは20歳ごろで、Jと出会ったのはその直後の私が大学を中退して社会に出たばかりの頃だった。Jはまだ学生で資産家の家の御曹司だったが、その数年後に両親に勘当され実家を追い出された。勘当と共に親のコネで入った会社もやめ、突然、テレビ業界で働き始めた。お互いに駆け出しで、フリーランスといえばかっこいいけれど、ニートみたいなものだった。

Jとの思い出でいまだに忘れられないのは、半蔵門線の九段下の駅のホームでお互いに仕事終わりで偶然あい、そのまま長津田行きの電車に乗った日に交わした会話だ。当時私は池尻大橋の三宿のあたりに住んでいて、Jは当時の彼女と一緒に桜新町に住んでいた。
飲もうということになり三茶で飲むことになった。あの日、私はなんだかとっても疲れていた。人にはいえない恋愛をしていて、恋人とはなかなか会えず、それで寂しかったのはあったのだけど、それは表面的なことだ。ダミーだ。
今振り返れば人生最大の闇落ちからは抜け出したとはいえ、社会の中で何が自分にできて何が自分にはできないのか、把握できないままに毎日がお祭り騒ぎのような刺激続きで疲れ切っていたのだ。

本当の本当は刺激で麻痺して、自分がよくわからなくなって混乱していたわけだけれど、当時の私はそれを「恋愛のこと」にしていたので、Jにも当時の恋愛の話せる部分だけかいつまんで話しながら愚痴った。
その時にJが「誰かのことをすべてわかることなんかできないんだよ」と言ったのだ。「100%わかるなんてことができないからいいんじゃん。100%わかっちゃったら一緒にいる意味ないじゃん」

彼の言葉を聞いて「恋人のことをすべて理解したいって思うのはいけないの」というようなことを返した記憶がある。若いなぁ〜(笑)

当時、彼が言わんとしたことの本意を受け止め損ねた私だったが、それでも彼のその言葉だけはずっと残っていて、薄暗く狭いバーのカウンターの右隣に座った彼がたばこを口に咥えながら、オイルライターをつけたり消したりする姿と共に思い出す。指にはシルバーのごっついリングがはまってたっけ(そのリングで割れないピスタチオの殻をガツっと割ってくれたことがある・笑)

 違うことを苦しみにする必要はない。違うことは恩恵だ。
彼はそういうことを20代の初めに知っていたのだから、よっぽど生き急いでいたのかもしれないなぁと思う。彼が結婚し、少しずつ一緒に飲む機会も少なくなり、人生の後半、どんな日々を送っていたのかは詳しくは知らないけれど、それでも幸せな人生であったことを願う。

私は朝方、2人で一個のイヤフォンを片耳ずつわけあって、エレカシの曲を聴きながら酔っ払って歩いたことを忘れない。希望と絶望が入り混じったようななんともいえない心細さをJは感じ取ってくれていた。感じ取ってはいるけれど傷は舐め合わない。見た目はとんでもなくハードコアな人だったけど、そういう種類の優しさと品性を持った人だった。



思い出すたびにあなたの優しさの深さに心打たれます
あなたと過ごした時間の中に、優しさとは何か?がたくさんつまっている
それを何度も何度も思い出すんだろうな
未熟な私に優しくしてくれて、本当にありがとう



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