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「意味」の意味
先日、知人ととあることでメッセージのやりとりをしたのだけど、
たわいもない話の流れでインスタのこの投稿についての話になった
投稿自体は、別にどうってことないのだけれど
(でも、よかったら読んでください。そしてフォローしていただけたら
さらに嬉しいですvv)
その知人の「無駄だと思ったことの中にも役立つことってありますよね」
という言葉にとハッとした
意味がある🟰役にたつと受け取る人もいることに、知人と話すまでまったく考えていなかったのだ
意味があるっていうのは、私にとって「自分を知る」とか何らかの発見があるとか
ようするにこれまでにはなかった視点を得るということで、役にたつかどうかということとは違う意味をもつ
でも、考えてみれば実用的なこと、効率的なことなどが大切な人にとって、役立つということにそれをする意味を見出すというのはもっともな話でもある
知識や情報はとても大切だけれども、それは自分で考えるためのツールだ。そして私にとって意味とは「自分で考えた甲斐があった」と思えることだ
それは時に「自分を知る」ということだったり、視点が変わったり、大事な本質を発見したりすることだ
そこに感動はあるのかい?
例えば、東海道を歩いて京都に向かう際の正確な行き方を正確な英文法で書けと言われたらAIにはかなわない気がする
でも、正確な知識を正確な文法で書かれたものを読んで、感動は生まれるのだろうか?(家電の説明書を読んで感動する人もいるので、ゼロではないと思うけど)
AIってすごいなっていう感動はあっても、ゲド戦記や羊をめぐる冒険のような何度も胸の中で反芻して味わうような「意味」は見出せない気がするのだ
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「編む」ということの意味と「編み物」としての無意味
去年の暮れにふと思い立って編み物をしてみることにした
本当にふと思い立っただけで、それ意外になんの理由もなかったが、友人と話すなかで「黙々とした作業を通して無になりたい」のかもということに気がつき、とにかくやってみることにした
手芸、裁縫という部類のものが苦手なので、思春期真っ只中の時だって手編みのマフラーなど編んだことがない
そんな私が編み物だなんて!
人生何が起きるかわからない(笑)
100円ショップにいって、毛糸とかぎ針を買った
とりあえず、こま編みで四角い膝掛けを編むくらいならやれるだろうと思って
動画をみながらスタートしてみたところ
最初の鎖編みを編む段階で左手の糸の持ち方がわからない
「えー、何、これ?どうやって毛糸もってるの?」
から始まる始末
そして編み目を数えるという作業が「無になれないということに気が付く
いや、それよりも重大なことを思い出した
私は数を数えるのが大の苦手なのだ
注意力散漫のせいなんだろうけど、15まで数えて急に30に飛んだりすることが
ちょいちょいある
悪気はないけど、なんでか急に75から112とか口走ったりするんです
やばいですよね
そういったことをスタートして10分も立たずに思い出し
「無になれない」ことを理由に編み目を数えることをやめて
「だいたいこのあたりで折り返しかな」で適当に編み進めたら
正方形になるはずなのに、なんともいえない物体になった
この段階で2種類の毛糸を使っていたのだが、わかったことは「毛糸の太さは合わせないとダメ」ということだった(非常識ですね)
ええ、ええ、色しかみていなかったので、太さとか気にしちゃいなかった
ただでさえ、力加減が一定にできないので、つれること山のごとし
きくらげかとおもうほどのうねうね力を発揮した
![](https://assets.st-note.com/img/1706697142836-ZSfCoPKByY.jpg?width=1200)
ある人に見せたら「こ、これは丸く編もうとしたんですか?」と言われる(笑)
仕切り直して、今度は毛糸の太さを「中太」に決め、リベンジ。
今回は無になることを諦めて編み目を数えることにした。
テーブルの上にメモを置き、10目ごとに正の字を書いていく。
それでも何目編んだか飛ぶのだけれど、まぁ、前回よりはましである。
![](https://assets.st-note.com/img/1706697261757-xMMctsRteC.jpg?width=1200)
なんとか四角
1234と数えながら編んでいく。
そうしたら不思議なことが起きた
無がやってきたのだ
こ、こ、これは!マインドフルネス!!!
そしてその先に広がる思考が無の世界
この開放感
ああああー
こうして私は丸1ヶ月の間編み物瞑想の世界を体験した
ただ、編む
ひたすら編む
来る日も来る日も編む
そしてわかったことがある
私は編みあがった物には興味がないということを(笑)
だって、次は「こんなの編みたいな」という創作意欲がまったくわいてこない。
一応、「膝掛け」を編んでいるわけだが、膝掛けにときめかない。
そういう意味では創作意欲さえ無なのだ
でも、編み物という行為が私の心に浄化をもたらし癒しとなったことは間違いがない。
大晦日に編み始めたひざかけは、1ヶ月の間に私の煩悩をすいとってソファカバーに育って終わりを告げた
(重すぎてひっくりかえせず編み続けるのが大変になった)
買ったほうがよっぽど安く、クオリティも高い
でも、私にとってはとても意味のあるチャレンジだった
次は編み物と同時にふと頭に浮かんだ刺繍に挑戦してみる予定
どんな意味を見出せるか
まったく意味などないのか?
今、言えるのはやってみたらわかるということだ
![](https://assets.st-note.com/img/1706697470342-O8BAlUROdF.jpg?width=1200)
実は左右の編み目の数が50目近く違っている
結局、ピシッと長方形に編めなかったー
そしてアクリル毛糸のおかげで座ると静電気が半端ない
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