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23歳の私

23歳のとき、新卒でアパレル会社で働いていて、配属が百貨店だったから少し販売員をやっていた時期があった。

その時にストックの売れ残りをみてすごくもったいないと思っていた。

消費活動に対して疑問を感じていたんだよね。

そしてゴミについてもよく考えていた。

その辺に捨てられているゴミとかね。

そこで23歳の私は、日常の中での気づきや疑問をまとめてみた。そのときのメモがこちら↓

仏教の日没無常偈でうたわれているように、無常とは、この世の定めであり、それを覆すことは出来ない。ゆえに、消費も同様に、記号的消費、顕示的消費など様々な消費活動があるが、生活の中で需要がなくなると、物の存在は置き去りにされてしまう。私たちの消費活動(商品)は、本来の使用価値とは離れ、ヒエラルキーを発信し、また自己顕示欲を満たすための記号に変わる。そして、私たちの消費欲を無限に作り続ける。(今回の展示では消費に焦点をあて、物の寿命(儚さ)と人間の欲(エゴ)を対比させ、表現する。)

♦︎インスタレーションとして、鑑賞者が破壊⇄再生できるものをつくる。
♦︎消費→ゴミ→再生→知的消費に繋げる

アパレル会社は1年目でやめて、しばらくアートギャラリーでインターンをしていたから、企画について一生懸命考えていた。

当時すごくコンセプチュアルな作品をよくみていたから、こんなコンセプトの仕上がりになったんだと思うけど、今見返すと一生懸命感がでていて、大分恥ずかしい。

これでアーティストを集めようかと思ったんだけど、これは自分の世界感すぎて、自分で作品作った方がいいなって思って、結局展示としては実現しなかった。

今年こそ、自分の「作品」をつくってみようかな。




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