不登校引きこもり30代スキゾイド

10代の頃に一度ブログを作ってみたことがありましたが、いくつか投稿しただけでまったく続かず、やめてしまいました。自分のことを不特定多数の人に公開するということは、私にはあまり向いていないことかもしれないと、私はそういう種類の人だと、それから徐々に思うようになり、その後流行り始めたツイッターなどのSNSも、フォローするためだけのアカウントを作り、アイコンもヘッダーも初期設定のまま、自分からなにかを発信することはしませんでした。しかし今こうして衝動的に、私には向いていないはずのことを始めてしまったのは、焦燥感のせいかもしれません。

中学生のときに不登校になり、高校には入学したものの入学式しか行けず、翌年通信制に入りなおしてもスクーリングさえ行けず、当然卒業の資格もなく、それからは自宅で、大したこともせずにただ生きてきました。
学校に行かなかったこと、就職しなかったこと、この先の人生どこかで後悔するかもしれないと思ってはいましたが、実際に”後悔”を実感したことはありませんでした。当然のように学校に行き就職するたくさんの人たちが、私と同じ種類の人たちだとはとても思えなかったのです。
もちろんみんなそれぞれ苦しみがあり、努力をし、葛藤もありながらそういう”ふつうの道”を選んでいくのかもしれないとは思います。なんにも苦しまずに生きている人間などはいないはずです。
しかし私がそれと同じことをしようとした場合、自分の人生が台無しになるような気がしたのです。喜びも楽しみも感じられないまま毎日に忙殺され何十年も生きて行かなければいけないというのは、途方もないことです。人の中で生きるということは私にとってそういうことでした。
私と同じように、人といることの喜びを感じられない人でも、家庭環境や金銭的な事情で、社会に出て行かなくてはいけない人たちも多くいることでしょう。私はそれを許されているのだから、とても恵まれていて幸運だ、だから少なくとも今のところは後悔はない、そう思っていました。

しかし昨夜突然、将来への底知れぬ不安が襲ってきました。

これまでもこうしたことがまったくなかったわけではありません。後悔はないというのはその時その時の結論であって、さまざまな不安要素があるけれども、いろいろ考えてみるとこれしかなかったのではないか、という経緯があっての”後悔はない”です。昨夜私が”後悔”したのかというと、分かりません。それを判断できないほどの不安でした。

なにかしなければいけない。
しかし私はなんのスキルも持っていませんし、なにかしたいという意欲や興味もほぼ湧いてこないような人生を送ってきたので、のめりこむほどの趣味も得意分野もありません。
人付き合いもほぼ経験がありませんし、自分の人柄というのにも自信がありません。悪人ではないとは思いますが善人とも言えないでしょう。私なりにこの世界やたくさんの人たちを愛しているつもりではありますが、そこに自分自身が入っていく想像はできません。距離を置いているから好意的に思うことができるのです。
スキルもなく、人と関われるようになりたいという意欲もなく、今の私は人から求められるようなものをなにも持っていないし、人から求められるような人になろうとする努力もしてきませんでした。
人と関わりたくないのならなにかしらの勉強はしておくべきだったのではないかと、ようやく気付きましたが、今からなにができるのだろうと途方に暮れています。
人と関わらずに将来の不安を少しでも和らげ、すぐにでも始められることとして思い浮かんだのは、投資でした。自宅で日経新聞を取っていることで、そうした情報は視界の片隅には入っていました。難しいかもしれませんが、もしかしたらまったく新しいことを始めるより、ほんの少しだけなじみのあるぶん、近道かもしれません。・・・他と比べれば、ということですが。

深夜まであれこれ調べて、まずマイナンバーカードを作らなければいけないと知りましたが(通知カードはどこだ?)、とにもかくにもなにかを始めなければいけないと、それが”底知れぬ不安”から少しでも遠ざかる術だと、あたりまえのことを実感しました。
私が中学生ぶりにブログのようなことを始めたのは、混乱した自分の心を整理するためでもあり、不特定多数の人に見られることによって逃げ場を断つためでもあり(どのくらいの人が見るものなのでしょう?)、あとは、私と同じような人生を送っている人や、これからそうなりそうな子供たちに、私の人生を反面教師にしたり、または手本にしたり、共感したり、自らを省みたり、同族嫌悪を抱いたりなど、していただけるかなと思ったからです。・・・と、書きながら整理して気づきました。
あとは、様々な理由で不登校になったり引きこもりになったりしている人たちを、まったく無関係だと思っているような人たち、可哀想だと思っている人たち、あるいは下に見たり遠巻きに見たりしているような人たちに、こういう人も世の中には生きているのだということを、知っていてもらいたいです。
そういう人たちの理解と当事者の努力がそろうことで、結果的には不登校や引きこもりは減るのかなと思います。
私の人生は人に自慢できるようなものではなく、恥ずかしいものかもしれませんが、だからと言ってなにも言わずにいるよりも、私の感じてきたこと考えてきたことを独り言のように文章にすることで、それを肯定するにしろ否定するにしろ、誰かがなにかを考えるきっかけになるかもしれないと、そうなればいいなと思います。

一つ目の投稿のタイトルは悩みましたが、読んでもらいたい人が気づきやすいように、そして自己紹介代わりに私を記号的に表せるような言葉を選びました。というよりも、私のことを人に説明するときに、これ以外の言葉が浮かびませんでした。

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