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9.11旅行記⑧ 2001/9/18~19(帰国)

2001年9月、大学3年生の時に初めて海外旅行に行き、アメリカ同時多発テロに遭遇した時のことを残しておきたくて、旅行記を書きました。

<実際の旅程>
・2001年9月10日: 夜、マンハッタンに到着
・9月11日: 同時多発テロ発生、2機目突入を目撃し走って逃げる
・9月12日: マンハッタンを観光
・9月13日: 空港閉鎖、延泊。再びマンハッタンを歩く
・9月14日: ホテルでFBIが取り調べ。ホテルを移される
・9月15日: テキサスの伯父に送金してもらい、航空券購入、カンザスへ
・9月16~17日: カンザスの友達の寮に滞在
・9月18~19日: 帰国

・帰国の日

2001年9月18日(火)

帰国の日。
ジェイミーにお別れを告げた。リエとジェイミーと写真を撮ろうとすると、ラフなTシャツ姿のジェイミーが「この格好で!」と言うので、リエが、「ジェイミー、いつもかわいいよ」となだめると、”Ah, yes.”と言って、一緒に写真におさまってくれた。

リエともお別れし、てアイちゃんとカンザスシティ国際空港に向かった。
私は空港で、マフィンとホットチョコレートを飲んで、心を落ち着かせたようだ。

カンザスシティから約1時間半で、乗り継ぎのミネアポリスに到着した。
乗り換えの間、スターバックスに行って、アイちゃんは念願のホワイトチョコレートモカを買った。私も、今度はホットで注文したが、とても甘かった。マフィンをまた食べた。
ミネアポリスはスヌーピーの故郷なので、空港内に、スヌーピーの大きな像があった。パイロットの格好をしていて、かわいかった。

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・機内食に添えられたメッセージ

ミネアポリスから、成田行きのノースウェスト航空19便に乗った。これで飛行機も最後だ。
食事の時、機内食と、プラスチックのナイフとフォークが配られた。私は、凶器になるようなものを配って大丈夫なのかなと思ったが、小さなカードが添えられていて、こう書いてあった。

“To our valued customers:
We regret the use of plastic cutlery for today’s meal.
This change from our standard is a temporary response to heightened security concerns.
Thank you for your understanding.”

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「大切なお客様へ
恐れ入りますが、本日のお食事には、プラスチックのカトラリーを使用させていただきます。
この変更は、安全保障の懸念が高まっていることに対する、一時的な対応です。
ご理解いただき、ありがとうございます。」

いつもは金属製のカトラリーだけど、今日は安全のためにプラスチックのものを使用するということだった。しかし私は、最初にプラスチックでも危険だと思ってしまったので、この文章をいまいち正確に邦訳できず、しばらく悩んでしまった。

飛行機は、無事に成田空港に到着した。飛行機を降り、歩きながら、携帯電話の電源を入れた。メールがいくつか届いていた。
家族に無事に帰国したことを連絡した。弟にもメールしたら、「よかったよかった。俺は今外なんで、家には別で連絡して。」というあっさりした返信がきた。

・中吊り広告

電車に乗ると、目に入ってきた中吊り広告に驚いた。
「悪夢のテロ、地獄のニューヨーク」
黒地に大きな白抜きの字で、そう書いてあった。首謀者の写真が載っていた。ほかの雑誌の広告も、どれもテロのことばかりだった。事件から1週間以上経っても、日本でもまだこの話題一色なんだと思った。
私たちがマンハッタンの街を歩いたり、リエのところで友達たちと過ごしてきた雰囲気とは全然違う、悲惨な部分のみが報道されているようだった。日本ではこんな扱いになっているのか、と思った。

アイちゃんと、後日反省会をして、写真を交換したり、グレンおじさんから送金してもらったお金の返還のことなどを話そうと約束して、別れた。

家に帰ってきた。
4匹の猫たちが、どこか行ってたの~?と、変わらない様子で出迎えてくれた。
私は家族に、テロのことなどをたくさん話して、お土産を渡した。

・世界で一番安心な場所での不安

お風呂に入って、自分の部屋に行った。もう寝るだけだ。
しかし、ふと、暗い窓の向こうから、誰かに見られている気がした。街灯がともる電柱の影に、たしかに誰もいないことは分かっているのに、誰かがいて、こちらを見ているような気がする。世界で一番安心できる場所に帰ってきたと思ったのに。もう他に逃げる場所も必要もないのに。
私はテロで負傷していないし、トラウマを負ったわけでもない。私は一般人で、誰も私のことを知らないから、誰かが追ってくるはずがない。もう普通の生活を送ればよいのだ。頭では分かっていても、誰かに見られている感覚はすぐには消えなかったが、不安に支配されることはなかった。
私は、電車で見た中吊り広告のインパクトが強く、また、家に着いた安心感から逆にこんな風に感じるのかもしれないと思った。

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