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言靈とは

天道仁聞氏は、言靈について「言靈秘書」を引用し、このように定義づけています。

主は左、火であり剣。従は右、水であり鏡です。
主従、剣と鏡があるから、誠は生まれます。
主従は差別(けじめ)で、これが三種の神器でもある訳です。

現代人は、三種の神器の意味が分からなくなって、主従の差別(けじめ)がつかず、秩序がなくなっています。

時間軸で主従関係を見ると、主は過去、従は未来。
未来に過去が入ることで○チョンになり、中今となります。
つまり、過去が主導権を握って、未来を作っているということです。
次に人に当てはめると主は先祖、従は子孫。
子孫の中に先祖が中心に入ることで、自分がいるのです。
また、過去に出来た法則は主、未来の創造は従。
創造の中に、法則が入ることですべてのものは生まれていきます。
逆に、過去の法則を取り入れないで創造をすると、秩序は無くなってしまいます。だから、物質文明は崩壊の道をたどってしまうのです。

タカミムスビは主、カミムスビは従。
これが一体となってアメノミナカヌシになるという造化三神の法則。
これが剣と鏡と印の御霊にそのまま当てはまって、ありとあらゆるところに差別(けじめ)を作ります。
火と水、之を足して塩・息・星・神となります。○チョンになります。このけじめが分からないと、総てのものがあいまいになってしまいます。
過去の法則がいかに主導権を握っているのか、いかに中心的なものにしないといけないのかを忘れてしまうから先のことしか見ずに、秩序が無くなってしまうのです。

過去からの法則だったり、宇宙軸と言っている宇宙の中心点にある真理が中に入らない創造物になってしまうと、それはただの水だけになるので、ふにゃふにゃしたスピリチュアル、お花畑となってしまいます。芯が無い。つまり〇チョンのチョンがない状態です。岡本天明も、現代人はチョンが無いと言っていました。

法則の中の誠の火は過去にあります。過去から繋がっている法則に真理は眠っています。過去があるから未来が作れるのです。つまり過去も未来も、両方を見ないといけませんが、主は先祖、過去です。それがあって初めて未来があるのです。それらが一体となって今があるのです。

また身体と魂で見ると、魂が火で主、身体は水で従。生命は魂が主導権を握っていますので、身体は従となります。それで生命が成っているという差別(けじめ)です。

魂が無くなり、身体しかないと、心が暴走します。主従ぐちゃぐちゃになって心が病んでしまいます。スピリチュアルやご神事をやっている人も魂と体の主従関係という差別(けじめ)がしっかりないと、精神的に不安定になって精神崩壊してしまいます。

宇宙軸と自分軸という考えがあります。宇宙軸が主。自分軸は従。
主が自分軸の中に入ることで○チョンとなる。自分の認識、経験は従。主は過去からの法則です。
永遠に変わらない法則が主。自分の認識、経験、解釈は従。自分の構築したものの中に変わらない法則が入ることで完全なる形に完成されます。
自分の中だけで法則が無いと皆確信が持てなくなります。こうだと理解しきれません。自分の軸だけで完結させようとすると、確信にまで至らないのです。法則が入ることで、初めて完全なる形に完成されるのです。

法則は主であらゆるところで主導権を握り中核をなします。この構造が○チョンで、これがカタカムナなのです。主従がしっかり構築されてできているのがカタカムナ。これが造化三神。三種の神器。
近年カタカムナにも派閥が生まれ、独自の解釈になっている人が多いのも差別(けじめ)をつけて言霊を扱っていかないから。好き勝手な解釈をしてしまって真理から遠のいてしまったのです。

コトタマとは、水火凝々で吹出すものが、水火連なり、円にまろがること。それを絵にすると○チョン、横から見ると摩仁宝寿の形になります。

摩仁宝寿は言霊を表すのです。息を組み合わせることで吐き出される、火と水が連なって吐き出される玉を言霊と言います。言霊の中には一言一言吸う息と吐く息があって玉になり、言霊となるのです。

摩仁宝寿の場合、言葉という水の中に自分の中の想念を入れることができます。言葉の中に思いが宿るとは、言葉の〇の中に自分の想念のチョンを組み込むことができるということです。

言葉自体に力はありません(例ありがとうなど)。言葉は音を出すだけです。人間の想念を入れるから力を発揮するのです。言葉の中の想念が言葉と○チョンを為してエネルギー発生させているのです。



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