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田兒の浦に~「百首正解」より

百人一首第四首目、山部赤人の歌の解釈を、山口志道の「百首正解」をもとに、口語訳していきます。

田兒の浦にうちいでて見れば白布(しろたへ)の富士のたかねに雪はふりつつ
「田兒の浦爾(に)」である。「田兒の浦より」という心ではない。
「爾(に)」の辞は、一首の躰を備える格である。よって「爾(に)」と置いて、見る場所を示しているのである。
白布(しろたへ)は枕詞である。
「つつ」は、約筒(つつのつづめ)で、雪は「零(ふり)つ」と、上の詞を約(つづ)めて感じる心なのである。

一首の心は、田子の浦に出てみたところ、富士山に雪が降っている。それにしてもまぁ、雪が降っているよと驚きを感じている心である。

この田子の浦は庵原郡(静岡県にあった郡)にある。富士は富士郡(庵原郡の東に隣接)に有って、隣郡で近いけれども薩埵峠のため山陰(かげ)となって、富士山が見えない所なのである。

この歌を直しておいた人は誰かは分からないが、この地のことは詳しく知らないのであろう。それは自ら詠み出した歌ではなく、他の人(山部赤人)が詠んだ歌を詠み直した業であるので、思い通りにならないところもあるのだろう。

後世の説に、薩埵峠の山陰を、磯伝いに倉澤という所に出て富士を見た歌であるというのは、事を荒立てたがる説である。

倉澤から見た富士ならば、倉澤のことを言うべきだ。倉澤のことを言わないで、見えない田子の浦を引き出して読むべき理由はない。

田子の浦から出て富士山を見るとすると、倉澤に定めたということにはならない。それを「田子の浦より」ともし言うならば、どこに出たことになるであろうか、言葉足らずである。
例えて言うならば、箱根山よりとばかり言えば、三島に出たのか、小田原に出たのか、分かりにくい。これらの言葉でも、「より」という意味でないのは明らかだ。
田子の浦より富士は見えると思っていた人も、まま居ると見えて、雪の中に早苗を植えると詠んだ歌などと思われている。

よくよくその地を見ないということである。

また、この白布(しろたへ)の枕詞は、富士へは続かない。
白布(しろたへ)の藤原というのはあるが、富士に続く例はないというのは分かっていないのだ。ここに言う白布(しろたへ)は、白から雪に続いているのであって、富士に掛かっているのではない。
白布の藤原と続いているのは、布(タヘ)によって富士に続いているのである。
枕詞の扱いは水穂伝にある。


万葉集巻三に、富士を望む一首(長歌)と、それに合わせて短歌が記されています。

田子之浦従 打出而見者 真白衣 不盡能高嶺爾 雪者零家留
たごのうらゆ うちいでてみれば ましろにぞ ふじのたかねに ゆきはふりける

これは山部宿禰赤人作と記しています。
ところが、百人一首の方の富士の歌については「誰かは分からないが、この地のことは詳しく知らないのだろう」と断じています。
「百首正解」の冒頭部分で、百人一首のことを高く評価していた山口志道でしたが、それは正しく言霊で捉えたうえでの評価であって、百人一首に選歌されたから良しとする態度では決してないことが伺えると思います。
 

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