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カタカナは神代の言葉①水穂伝重解誌一言法則上

2月25日(日)倉敷市で、天聞先生のカタカムナの読解方法(虚空蔵求聞持法)の公開講演がありました。

場所はまさに美観地区の古民家。三枝マコト先生と天道仁聞先生の間合いも素晴らしく、この場と参加者の高い波動のお陰で、とても有意義な一日となりました。

それ以来、言霊秘書と再度格闘しているのですが、特に水穂伝重解誌一言法則を読んで見ると、至極の言霊の数々に改めて圧倒されました。

文意を抜粋します。
1.カタカナは、神代の御書で、天地万物の始まりと終わりを知るのに、一つとして足らないものはありません。

2.応神天皇から漢書の学びが行われるようになって、神代の古言が滅びかけました。

3.神代の古言が滅びそうになるのを憂いた天武天皇は、この事を深く憂い、稗田阿礼に、自ら神代の古言を伝えました。

4.元明天皇は、太安万侶に命じ、稗田阿礼に伝わった内容を書物に記させ古事記と名付けました。

5.文字の出現によって、寛弘長和の頃まで言霊の学びはかえって疎かになってしまいました。

6.その後は言霊の名前だけが残り、その法則を知る者は現れず、契沖以降も書物を読み、知識を労して、言霊の法則は不明となりました。

7.この状態で、万葉古今他撰集にみだりに註を加える等してしまったがために、まるで井戸の水が枯れてしまったかのような状況になりました。

8.こうした中、山口志道が布斗麻邇の御霊という神宝で古事記神代巻を照らし合わせました。布斗麻邇の霊は天地の水火(イキ)の御伝え、カタカナは神の御名前から顕れる事を悟って30年、布斗麻邇の御霊は神宝である事を悟りました。

9.荷田訓之が志道の元にやって来て、稲荷古伝を神宝だと言って授けました。

カタカナは神の言葉であり、文字は言霊ではありません。一度滅びかけた言霊は元明天皇の働きで古事記に残されました。
しかし、その後も引き続き文字の出現によって、言霊は名前ばかりとなってしまいました。それが、江戸期安房国の山口志道のもとに布斗麻邇の御霊、稲荷古伝という2つの神宝が手繰り寄せられ、志道は都に上って水火(イキ)の御伝として広めていくこととなったのです。

こうしてギリギリのところで言霊は残っていきました。これは神の計らいだと感じます。

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