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サトリとは~本日の寺子屋より

今朝の天聞先生の寺子屋はとても学び深い内容でした。

タカアマハラがサトリの構造で、これはカタカムナの構造である。
宇野多美恵さんはタカマカハラと言っているので、実は理解をしていないのではないか。
タカアマハラとは内周の力と外発の力という矛盾が一体となって、交互に織りなし螺旋旋回するのがその名前の構造である。
これをカタカムナでイメージすると扶桑の木の形となる。
幹が根元一本で、右と左つまり順流と逆流の幹がぐーっとねじり合って宇宙にまで伸びているという一本の木の構造がタカアマハラである。
この相似象が呼吸である。
人間の吸う息と吐く息は矛盾である。この矛盾を交互に織りなすことで、私たちは生命活動をしている。
この構造自体をタカアマハラと言い、またカタカムナという意味となって、この構造をサトリと呼ぶのである。
本来のカタカムナの構造というのは、ここからすべて相似象となって展開していくものなのである。
自分の中で腑に落ちている状態をサトリと思っているが、サトリこそ相似象の根源的な創造の原理であって、創造の原理からサトリが円融無碍になっているときに円満の状態になっている。このことがサトリの相似象の原理である。ここがしっかりまとめられてないとカタカムナの根本原理がぐちゃぐちゃになってしまう。

アマ始元量の相似象を読んで、根本の原理が理解されていないという感じを受けた。ボク言っているカタカムナと相似象のカタカムナの決定的な違いがここに出ている。

サトリの構造やタカアマハラの構造こそが神一厘の仕組みである。

サトリとは、言霊で言うと、サが差別(けじめ)、トが組む、リが循環。
サというのは、矛盾。火と水のけじめ。正と反の矛盾を、組み合わせていて、そのためには循環しないといけない。吸うと吐くは同時に出来ない。その矛盾を循環させ、組むことができるということを思考回路で相似象にしたときにサトリという状態となり、円融無碍になる。火と水の矛盾が一体となって、剣と鏡と一つになって子どもができるという状態になるので、こうすると円融無碍の円満状態になる。これがサトリ。至高の原理なんです。

ここを理解しないとタカアマハラも分からないし、サトリという本来の意味も分からない。仏教の教えに触れてはいるが、仏教の教えの根本を理解されていないということをボクは強く思いました。

腑に落ちることがサトリなのではありません。そうではなく、矛盾を循環させて組んだ時にサトリの構造が生まれて円融無碍の円満になる。そういうことだったのですね。
悟った人というのは、矛盾を内包して組みもやっているからこそ円満な人格者になるのでしょう。そうすると、政治、経済、あらゆるものが混沌とした現代こそ、サトリの可能性は高まっていると言えるのでしょうか。ここらあたりを質問してみたいと思います。

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