150円

日々の生活に飽き飽きしている。やりたいと思っても、なぜか気が入らない。
あの頃あんなに求めていた落ち着いた日々がいまここにある。
この落ち着いた日々はきっと幸せとも呼ぶのだろう。
色々な人と毎日出会い、その度にいろんなことを思って、そして仕事の仲間とも笑いあって過ごす穏やかな日々。何もいうことはない。
でも、私は私のようで私じゃなくなってきているような気もする。
昨日は休みだった。美容室へ行き、久しぶりに会いたい人に会って、大好きな先輩から心配の電話をもらった。いろんなことを思い出した。
先輩と話しているとあの時の人間臭いどろっとした感情がいまでも湧き上がってきて苦しくなる。それでも先輩と過ごした日々はいまでも大切で、まさに青春といった日々だった。先輩は昔パンクバンドのボーカルをしていて、それを辞めて写真を撮るようになった。その話も私の大好きな話の一つ。
先輩は主にインドの写真を撮る。
私にドキュメンタリーとは何か、を教えてくれた。人間そのものの写真だった。

酔っ払っては音楽の話をしたり、写真の話をしたり、とにかく熱い人だ。豪快に酒を飲んでは笑う。お金持ちの家柄なのに、いつも変な格好をしているしたまに臭いときもある。けど。ちょっと潔癖症だったりもする。あんなにズケズケ言ったり人を貶すのに誰よりも人の気持ちとか表情に敏感で、察知する。そしてインドに一人で行くような人なのに、虫とかお化けとか苦手ですごくビビり。本当におかしな人だ。なのに、決まって先輩は私の変人具合にはかなわんともいう。
そんな先輩の写真が好きだ。素直に写真で、作家として生きて欲しい。と。

そんなことを考えながら、あてもなく、気づけばまた歩いていた。

梅田の歩道橋でずっと土下座のような体勢で無言で、なんのメッセージボードもなく箱だけを置いてお金を集めているおじさんがいた。
私は少し見て一瞬通り過ぎた。が、立ち止まって考えた。
あの人はなぜあの体勢でずっとこの寒い中いるんだろう?お金を入れる小さいダンボールが目の前にある。お金が欲しいのかな?働けないのかな?働く気がないのだろうか?それでもあの体勢でずっといる方がきっと辛いだろうに。。
そこまでして働きたくないのかな。。
いろんな疑問が頭を駆け巡った。でも、振り返っても同じ体勢のまま。私はなんだか悲しくなってしまった。何がそうさせているのか。社会か?人か?金か?
この人に何があったのかはわからないし、聞く勇気もない。それにこの行動を起こしているのは紛れもなくこの人で、この人の意志があってのことだ。私はとっさに財布から150円を取り出した。そしてそっと小さなダンボールの箱の中に入れた。反応はなかった。
150円はこの人にとって安いのだろうか、高いのだろうか、そんなことはわからないし、私にとっても150円は大切だ。150円でおにぎりは買える。私のおにぎり代であの人の時間が少しでも穏やかになりますように、とそっと願った。

今日もいろんな人と出会った。みんな違う。同じような人は一人もいない。
そして感情がある。喜怒哀楽とあるが、私はもう一つ『無』という感情もあるのではないかと考えた。何も繋がりはない。それでいい。

今日も1日が終わった。明日もみなさんも私も笑顔で過ごせますように。
おやすみなさい。

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