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酒徒の履歴書 - 酒徒ができるまで

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メンバーシップで公開した「酒徒の履歴書」のまとめです。仕事は食とは無縁のサラリーマンが、なぜ中華料理を語ったりレシピを書いたりしているのかが分かります(笑)
長めの短編小説くらい(37,000字)です。本格中華、居酒屋行脚、十年の中国生活など盛りだくさん!
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#エッセイ

酒徒の履歴書①~⑯まとめ読み

全16回の連載を1つの記事にまとめました。ずらーっと最後まで読めます。 改めて僕はこういう人間です…という自己紹介を兼ねて、自分の食遍歴を書いてみます。本業は食とは無関係のサラリーマンが、なんで中華料理の本を出したりするようになったのかが分かります(笑) 黎明篇(出生~高校生)憧憬の脆皮乳猪(豚の丸焼き) 僕は、1970年代後半に埼玉中部の小さな街で生まれた。高度成長期に地方から上京した人々の受け皿となった新興ベッドタウンで、街にはこれといった特産物や名物がなかった。僕

【無料公開】酒徒の履歴書①憧憬の脆皮乳猪(豚の丸焼き)

メンバーシップを開始した記念に、改めて僕はこういう人間です…という自己紹介を兼ねて、自分の食遍歴を書いてみます。普段SNSで長々と自分語りはしないけど、こういう場所なら多少興味を持って頂けるかなと。お付き合いください。 黎明編1(出生~小学生) 僕は、1970年代後半に埼玉中部の小さな街で生まれた。高度成長期に地方から上京した人々の受け皿となった新興ベッドタウンで、街にはこれといった特産物や名物がなかった。僕が「その土地ならではの旨いもの」に強い憧れを持つのは、自分の故郷

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酒徒の履歴書②稲妻の水餃(水餃子)

自己紹介代わりの「酒徒の履歴書」、高校生~大学生篇。初めての中国で、本場の中華料理と衝撃的な出会いを果たします。 黎明篇3(高校生) 中三で埼玉へ戻り、高校(男子校…)へ進学。日常生活から馬刺しや新鮮な魚介が消えた。一度与えられたものがなくなると、最初からなかったのに比べて、失望はより大きくなる。ここ以外のどこかに住みたいという気持ちは、この頃から次第に大きくなった。 当時所属していた吹奏楽部では演奏会の打ち上げで酒盛りをする不埒な文化があった。ビールも日本酒も焼酎もウ

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酒徒の履歴書⑦ - ニッポン居酒屋放浪記

社会人になり、自分の給料で好きなものを食べられる環境になった僕は、一気に食べ歩きにのめり込みます。そして、運命の出会いを果たします。 雌伏篇2(二十代前半) 話は、前回から少しさかのぼって、2000年代初頭、社会人になりたての頃。会社の独身寮に入ってから、僕の食生活は激変した。 寮は、21世紀の日本とは思えぬあつらえだった。部屋には風呂もトイレもなく、刑務所にあるような小さな洗面台があるだけで、備え付けの家具はベニヤ製だった。後年中国に語学留学したとき、周りの日本人留学

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酒徒の履歴書⑧ - 酒は憂いのたまははき

社会人生活の最初の6年で、居酒屋巡りに傾倒した僕。今も心に残る店との出会いなどを経て、自分にとっての良い店とは何かを、徐々に煮詰めていった時期でした。そして、いよいよ中国へ旅立ちます。 雌伏篇3(二十代半ば) 2000年代初頭、和彦によって、飲み歩きへのヘブンズドアーを開かれた僕。自然、東京での食べ歩きでも、居酒屋へ行く比率が高くなった。大勢で騒ぐより、ひとりふたりで酒を飲む方が好きな僕みたいなタイプには、小さな居酒屋のカウンターで日本酒をすする時間が何より心地よかったの

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酒徒の履歴書⑨ - 念願の北京!目指せ、2年で4000皿!

社会人7年目にして北京での語学留学へ旅立った僕。この機会を最大限活かそうと、学生時代に願った通り、毎日中華三昧の生活を送ります。新しい料理に出会うのが楽しくて仕方ない日々でした。 飛翔篇1(二十代後半) 2006年2月。北京北部の某大学で語学留学を始めた僕は、志に燃えていた。これから2年間、北京と上海で1年ずつ、仕事を離れて中国にどっぷり浸れるのだ。人生、こんなチャンスはなかなかない。当時の僕は、ブログにこう書き残している。

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酒徒の履歴書⑪ - 上海の洗礼!驚愕のお昼ご飯!

2007年。上海で1年間の実務研修が始まります。北京とは大きく異なる食環境。しかし、その違いこそが新たな発見を呼びます。そして、ここでも重要な出会いがありました。 飛翔篇3(二十代後半) 2007年初頭。北京での語学留学を終えた僕は、一年間の実務研修のため上海へ引っ越した。中国の首都から中国最大の経済都市へ。北京での生活は名残惜しかったが、新たな土地への期待も大きかった。 これまで実家→独身寮→留学生宿舎と暮らしてきた僕は、自分の住まいを主動的に決めるのはこのときが初め

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酒徒の履歴書⑫ - 食在広州!飲茶と広東料理に浸る日々!

2007年。念願の中国駐在生活が広州で始まります。「食在広州」の言葉で世界に名を馳せる広東料理の総本山で、広東料理と飲茶にどっぷり浸ります。引っ越してすぐに確保したのは、思い立ったらすぐ飲茶できる環境でした。 怒涛篇1(三十代前半) 2007年秋。2年で終わるはずだった中国生活がまだまだ続くことになり、望外の幸運に恵まれた僕は、希望に燃えていた。この機に僕と連れは結婚し、新天地の広州で新婚生活を始めた。とはいっても、僕らの生活はこれまでと大差なく、基軸はやはり食だった。

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酒徒の履歴書⑬ - 白酒万歳!広州からマカオ・東南アジアへ!

2007年。約2年間の留学・研修生活が終わり、広州では新米駐在員としての生活が始まりました。幸いなことに、食への興味が仕事を助けてくれ、また、仕事が食の深掘りを後押ししてくれました。また、広州時代はマカオや東南アジアにも食の興味が広がっていった時期でした。 怒涛篇2(三十代前半) 留学の北京、研修の上海とは違って、駐在員として過ごした広州では、仕事もそれなりに忙しかった。僕の仕事は自社サービスを中国人顧客に売り込むことで、広東人スタッフと中国各地を飛び回ることになった。

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酒徒の履歴書⑭ - 一大決心!神奈川での新生活。

2011年、約6年ぶりに帰国した僕。日本のサラリーマン生活に疲弊して酒におぼれながらも(笑)、月イチの中国出張で息を吹き返すという生活を送ります。そして、人生における大きな決断をした時期でもありました。 乱離篇(三十代半ば) 2011年の夏、僕は突然の辞令で中国を離れ、東日本大震災の衝撃がまだ冷めやらぬ日本に戻ってきた。 住む場所を吟味する余裕はなかった。限られた条件の下、鎌倉の外れにある家を選んだ。都内への通勤に便利とは言えなかったが、海なし県出身の僕には、比較的海が

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酒徒の履歴書⑯ - 最終回!「おうちで中華」はじまる。

2016年。子供が生まれたことをきっかけに、日常的に中華料理を作るようになった僕。それまでの「食べて、書く」が「食べて、作って、書く」に変わることで、新たな世界が開けたように思います。長々続いた「酒徒の履歴書」、今回が最終回です! 回天篇2(三十代後半~四十代前半) 2016年、上海。子供が生まれたことで日々の食べ歩きを大幅にセーブすることになった酒徒家。「外に食べに行けないなら、自分で作ればいいじゃない」というコンセプトの下、僕は自宅で中華料理を作り始めた。 料理歴の

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