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1年生、はじめての評価と向き合う

次女が小学校へ入学して早3ヵ月。宿題を見ながら子どもと格闘する時間がまたやってきました。重い荷物をしょって登下校したり、慣れない学校生活をおくったりで、子どもも大変で苦しいのは百も承知だけど、正直、私もしんどい😅

そもそも毎日歩いて学校に行ってるだけで100点だと思っているから、宿題がちゃんとできなくてもいいと考えている(私は)。学校へ行く目的は、学ぶことであって、宿題をやることではないから。

だから、なぞる文字がはみ出ていたり、マスの中にバランスよくひらがなを書けていなくても、がんばったね!と声をかけて励ましている。しかし・・・・、

学校で先生に直されてしまうのだ。娘は、自分が書いた字に赤入れをされて、直されることをずーっと、心底嫌がっている。頑張って書いた字の上に、先生のバランスのよいきれいな字が赤ペンで書かれて返ってくる。日によっては赤入れされた文字が多い時もある。〇ちゃんよりお直しが少なかった、多かったと比較する。そして、ますます勉強する気が萎える。

先生の気持ちもわかる。

最初にコツをつかんで、へんな癖がつかないように教えてくれているんだと思う。その気持ちと娘の気持ちの板挟みになり、もはや、何が正解なのかわからなくなる。

娘は、初めて「評価」というものに向き合っているんだと思う。保育園までは、悪いことをして怒られることはあっても、自分がしたことについて評価されることはあまりなかった。好きなこと、得意なこと、苦手なことを、まるっとその子らしさとして受け止めてもらっていたように思う。

夫に「次女ちゃんにとっては初めての評価だよね」と言ったら、「学校って基本評価ばっかりだよね。」という言葉が返ってきて、確かに・・・と思う。映画などを通じて、通知表をやめた学校があることは知っているけれど、市内、県内で通知表を辞めた学校の話は聞かない。

少し前に学校から来たアンケートに、学校は評価が多いこと(スポーツテスト、がんばり週間など通知表以外にもいろいろある)、評価は誰かと比べるためのものではなく、自分が前よりもどう成長できたかを知るためにあるんだよ!といった風に、評価の受け止め方も子どもたちに伝えてほしいと書いた。

社会に出てからも、私たちは常に評価にさらされる。誰かが決めたものさし(基準)で誰かに評価されるのはしんどいこともある。私自身は40も越え、評価との付き合い方にも慣れてきたし、生きていくことは自分ならではのものさしの数を増やしたり、長くしたりしていくことだと考えているので、ずいぶんと生きるのが楽になった。

次女ちゃんは、自分のものさしをしっかりと持っている子だと思っている。下校中に、「これ、おむすびころりんのおじいさんが使ってたやつよね?」と言って竹の皮を拾ってくるし、今日はミミズの死体と蛇を見ながら帰って来たんよねと報告してくれる。

学校だけでなく社会のいろんなものさしに出合いながら、自分ならではのものさしを育てていけるよう、見守っていきたい。

(以前夫が書いたnote↓)

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