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世界の見え方はこんなにも違う絶望と希望 #perfectdays

年末に「PERFECT DAYS」を観た。

田舎で暮らしていると、かなりメジャーな映画じゃないと(メジャーの基準が分からんけど...)、どの映画館でも上映しているわけではないから、目的の映画が観れる映画館に辿り着くまでがひと仕事だ。

あまり前情報もなく、お薦めされるままに観に行ったけど、私にとってはめちゃおもしろかった。それはたぶん、たくさんの視点と問いを手渡されたから。

そう感じた点について、つらつら書いていきたい。

私の生活にも「ある」と「ない」


主人公、平山(役所公司さん)の生活は小さな習慣の繰り返しでできている。

朝起きて、布団をたたみ、1階に降りて行って、髭を剃り、歯を磨く。自宅の扉を開けて空を見上げ、歩いて5歩くらいのところにある自販機で決まった缶コーヒー(確かBOSS)を買って、ハコバンに乗り込む。そのままカセットテープで音楽を聞きながら首都高を走り、担当の清掃場所(トイレ)に到着すると、淡々と、でもていねいに、彼なりのやり方でトイレを掃除していく。お昼休みには木々が生い茂る公園でサンドイッチをかじり、頭上の木漏れ日を見つめながら、フィルムカメラで写真を撮る。仕事が終わったら一旦自宅に戻り、自転車で銭湯へ。さっぱりした後は行きつけの呑み屋に行き、帰宅すると、うとうとするまで文庫本を読んで、眠りにつく。(この生活を役所さんがどう演じているかをぜひ見てほしい。)

映画はこの、単調に見える生活をベースにすすむ。でも、毎日ちょっとずつ違う。天気だったり、出会う人だったり、他者との関わりだったり。彼はささないなことにも気づいていて、彼だけが見えている世界がある。そして私たちはスクリーンを見ながら平山の生活を追体験する。私は彼の単調な生活を一生の目標に掲げたいくらい好きだ。一方で、映画を見ながら平山の生活を退屈で嘘っぽいと思う人も結構いるだろうなと思った。そしたら、実際にそう感じている人がちらほらいるらしいことをネットの情報で知った。

やっぱり、と思ったと同時に、この生活をうらやましいと思う人と虚構だと思う人の違いはなんだろう?と思った。

夫曰く、今の状況(生活)に満足しているかどうかじゃない?ということだったけど、確かに一理ある。私は今の暮らしにかなり満足していて(うまくいかなくて、のたうち回りたいこともあるけど)、平山の生活を見ながら、私の生活の中にも似たような習慣みたいなものがあるなあと思った。だから、虚構じゃなくて、私には現実だった。

平山の生活を虚構だと思う人は、いつか自分もこうした生活を送りたいと思うようになるのか、そしてもし心が変わるとしたら、その瞬間はどういった時に起こるのだろう?

東日本大地震災をきっかけに生き方を見つめ直した人がたくさんいるように、災害は1つのきっかけになるのかもしれない。

そういえば、ヴィム・ヴェンダース監督は、「平山は誰の中にも存在している」と話していた。私もそう思う。何がきっかけかは人それぞれだけど、それぞれのタイミングで平山的な何かが発露するのかもしれない。

世界を見つめるまなざし

自分だけの世界が見えている人に惹かれてしまう。彼らは他者を排除しないから。居合わせた人たちと時々、一緒に世界を共有しながら、自分にしか見えない世界にも、他者が見ている世界にもリスペクトを持って、見つめているような人だ。

ヴェンダース監督は、平山は1つずつやると話していた。

「平山は1冊読んで、本棚に戻し、また新しい1冊を買いに行きます。何もかも、1つずつ起こる。」

だから単調なように見える生活の中で、毎日毎度何か違うことに気づけるんだと思う。実際、私はこの映画を見て、ながら家事をだいぶやめた。具体的には、音楽は聞くけど、podcast(人の話・会話)はあんまり聞かなくなった。その代わり、いろんなことをふと思い出したり、じっくり考えたりする時間が増えてよい感じなので、しばらく続けてみようと思う。

(平山)「この世界には、たくさんの世界がある。つながっているように見えても、つながっていない世界がある・・・・。」

ヴェンダース監督は、人はそれぞれの世界の見方を持っているから、1人1人が唯一無二で、尊いと言う。

私たちは唯一無二の存在として世界を見ながら、どうやって他者が見ている世界もリスペクトできるだろうか。その世界が私の世界とつながっていても、いなくても。

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