文化をつくる人のことば
もう3年?4年くらい経つだろうか?編集者の藤本智士さんがはじめられた編集について学び合うコミュニティ(りスクール)に参加している。その藤本さんが、4月のあたまに愛媛に遊びに来てくれる機会があったので、ぜひ南予地域にも足を延ばしてほしく、大洲市と西予市を案内させてもらった。
案内するといっても、正直迷っていた。お昼ご飯はどこで食べよう、どこからどんな順番で回ろう。西予ではわらぐろとかわらマンモスを見てほしいし、卯之町の町並みも、明浜とか三瓶の海沿いの町も、野村も城川も見てほしい。でも、時間が足りないなあと。
予定を決めすぎない藤本さんの旅のスタイルを知っていたし、当日何が食べたいかも気分で変わるかもしれないからと、結局、どこでお昼ご飯を食べるかも、どの順番でどこを回るかも現地へ向かいながら決めたらいいかと、何も決めずに当日を迎えてしまった。
そして、同じりスクールメンバーのしんえもんさんの事務所(@松山)で藤本さんをピックアップした後、まずは南予へ向けて走り出した。はじめは西予の海の方で、鯛飯を食べようかと話していたのだけど、火曜日でお休み。そこで、藤本さんに「大洲にいるお友達、Sa-Rahの帽子千秋さんに連絡をとってもいい?」と聞かれたので、ぜひ~!と連絡を取ってもらったら、多忙な千秋さんもたまたま、本当にたまたま予定があいてて、あれよあれよという間にお昼ご飯を大洲でご一緒できることになった。千秋さんは、大洲にSa-Rahという名のお店を構え、素敵なお洋服を作られている。
いざ!大洲へ
自分の何も決めてない、決められていない優柔不断ぶりが、いい方向に転がり、奇跡的に着地した(笑)ということで、Sa-Rahのお店で千秋さんと合流した後、大洲の城下町にある油屋さんへ。
藤本さんは無事に鯛めしを食べることができ、私は大洲が推しているというとんくりまぶし定食をいただいた。ごはんの上に甘く煮た栗と甘辛く焼かれた豚肉がのったとんくりまぶしは、普通にそれだけでもおいしかったけど、途中で特製の出汁をかけて薬味と一緒に食べると、がらっと印象が変わってさらに味わい深かった。
ごはんを食べながら、会っていなかった十数年の間のキャッチアップをする藤本さんと千秋さんの間で、とにかくいろんな話を聞いた。千秋さんは大三島にSa-Rahの洋服を手に取れる、ギャラリー併設の宿を開いたこと。藤本さんは出版のしくみ(お金の流れ)を変えたくて、みんなの銀行(リアル店舗をもたないスマホだけの銀行)のアンバサダーになって活動していること。なぜそれをやりたいのか、それができた先にどんな変化が起きるのかといったことを話し終わる頃には、ご飯も食べ終わり、運ばれたお茶の2杯目も飲み干していた。この出版のしくみを変える挑戦の話は、下記のnoteに詳しく書かれているので、ぜひ読んでほしい。
ごはんを食べた後は、千秋さんとスタッフさんが運営されている、古民家商舗・廊 村上邸を案内していただいた。村上邸は、昔のつくりを損なわず、ていねいに修繕された築170年の古民家で、物販とカフェ、ギャラリーを併せもつ施設として運営されている。私は数年前、村上邸がオープンしたての頃に伺ったことがあった。とても信頼している方に、古い建物を修繕する時のお手本みたいなところやから、ぜひ見に行ったらいいよと教えてもらって、すぐに行ったのだ。その時と変わらず大切にされている建物は、とても心地よい場所だった。
そして何より、オーナーである千秋さんのこの建物が大好き!という想いがこもった説明を聞かせてもらって、魅力的な場所には必ず誰かの想いが共ににあることを思い出す。
文化とお金について
もう1カ所案内したいところがあるからと、千秋さんに導かれて臥龍山荘へ。臥龍山荘は、明治時代に木蝋貿易で成功した大洲出身の豪商、河内寅次郎さんが余生を過ごそうと肱川の畔に建てた別荘のこと。市の文化財にも指定されていて、敷地内にある2つの建物は県の有形文化財にも指定されている。この場所が大好きなの!と村上邸の時と同じ熱量で臥龍山荘の推しポイントを教えてくれる千秋さん。説明してもらってはじめて気づく建築の細かな仕事に、藤本さんと私は、えー!とか、きゃー!とか、たまにため息も交じえつつ、臥龍山荘のすごさを体感していった。
木の切断面を見せないように、5ミリくらいの薄さの木(右側の木の延長)で覆われている部分。右下も同様の構造になっている。
こうした説明されないと分からないようなていねいな仕事は、今のように経済合理性を追い求める社会では、真っ先に切り捨てられそうなものばかりだ。縁側に腰かけると、こうした社会のしくみから抜け出していくためにはどうしたらいいんだろうねという話になっていく。
たしか、金融の話をしたと思う。
金融とは、本来、資金に余裕がある人から必要な人に対してお金を融通する仕組みのこと。それが今は、お金儲けのしくみになってしまっていることを憂いながら庭を眺めた。臥龍山荘は、個人が余生を送るために長い時間ととんでもない額を使って建てられた建物だけど、狂気ともとれるような職人の技術が発揮される場を提供し、災害からも免れ、100年以上たった今も多くの人に愛されている。金融も、かつてはこんな風に長く愛されるものがつくられるような文化をつくるためのしくみだったんだと思う。
「若い頃ね、お世話になってる人から用事があって電話がかかってくるたびに、電話を切る前に、『お金にだけは負けるなよ!』って言われたんですよ。何度も。」と藤本さんが話してくれた。
千秋さんも、宿をオープンするために、経営と向き合う必要があって、プレッシャーだったことを話してくれた。でもね、いい言葉があって、あの時しんどかったなあって思い出すとあの時の自分がかわいそうだから、「夢中」だったって言うことにしたのと。
庭を眺めながら聞く2人の言葉はただただ、強くて優しかった。時計も16時近くを指していて、西予を案内したかった気持ちは、藤本さんにはまた何度も南予に来てほしいなという願いに変っていた。
お金に負けないために、お金と向き合わないといけない世界で、私たちの会社も”自然に根ざした健やかな暮らしと文化をつくる”ことをミッションに掲げている。しんどいことがあった時、私はきっと今日のことをこれから何度も思い出すと思う。そんな時間だった。
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