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引き算の生活

雨のため、主催のイベントが中止になった休日を子どもたちと家で過ごしている。夫は作業があるし、これからどうしようかなあと考えていると、小学生組がお菓子や機材の空箱を使って工作を始めた。その様子を見ていると、私たちの暮らしには引き算が必要なんじゃないかという気がしてくる。

引き算とは、子どものために何かを準備しすぎないこと。

今はいろんな教材、材料ややり方まで、物や情報にあふれている。けれど、子どもたちを見ていると、作りたいものの材料が無いならないで、工夫したり家にあるもので代用したりするし、臨機応変に作るもの自体さえ変えてしまう(ポジティブに)。親の私が準備するのは、のり、はさみ、セロハンテープなど、工作の道具ぐらいだろうか。

今はいろんな〇〇専用の食材、道具が買える。資本主義は私たちにいろんなものを売りつけることに余念がない。初めてつくるものであれば、〇〇専用の材料です!道具です!と言われると、なるほどそれが必要なのかと思ってしまうかもしれないし、これ買わないと作れないんじゃないかという不安に駆られる人もいるだろう。そんな時、私はいつも、これは家にあるあれを代用したらいけるんじゃないかと、なんとか家であるもので済ませようとする。そして、たまに失敗する、たまに。そして、いかにその材料や道具がすごいかを思い知り、リスペクトの気持ちがむくむく湧き上がる。そんな過程こそが大事なんだと思ってる。

この前、長女の学年PTA活動でピザを作った時、ピザソースを買わずに作ったら、ピザソースって買わずに作れるんですね!と言われた。そう、作れるの!私も以前は作っていたけれど、ケチャップ、しょうゆ、にんにく、マヨネーズ、塩コショウがあれば作れる。

そんな工夫を楽しめるか、面倒に思うか。時間に余裕が無ければ買ってしまうこともあるだろうけど、実は大きな分かれ道じゃなかろうか。生産者になるか、消費者になるか、クリエイティブに生きるか否か。こんまりさんの「ときめき」や、やましたひでこさんの断捨離も、結局は引き算のことを言っている。

物だけじゃない。時間も同じだと思う。

今の小学生って、忙しい。娘が通う小学校では、3年生になると夏には水泳練習、秋には陸上練習がある。遅い時は帰宅時間が18時を超える。そして宿題もあるし、多くの子が習い事にも通っている。空白の時間って、一体どれくらいあるのだろう。暇だ~って言ってる時間もあるけれど、むしろ暇だと感じる時間って大事だと思うし、暇な時間で何をするか、自分で考えて決めることにも価値がある。

私はこれから、何をしないで生きていこうか。そんなことを考えている。



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