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人は亡くなったら星になるのだと、母はいつも言っていた。

大きくなって分別がつくようになる頃になると、僕は人は星にならないのだと知った。人は眠るようにその人生を終え、荼毘に伏される。
星になんてなるはずがないと思っていた。

コロナの頃、私は母を失った。
10月10日の事だった。すべての記憶や思い出が全く存在しない。消えてしまったものになってしまったような気がして、私は傘をささず、落ちてくる雨にずっと打たれていた。時々耳元で息を吹きかける気配。真後ろで見守っている気配、そんな日が続いた。そして49日の日以来、そんな感覚は失われた。空を見上げた。美しい星が満天に輝いていた。僕はその星の一つ一つの名前を知っているわけではない。また視界に入ってこない、無数の小さな星も存在するのだろうと感じた。不意に母の星を探した。それは母の星ではないのかもしれないが、母はやはり星になったのではないか。そう信じることが私の気持ちを慰めた。

後悔の念は無いわけではない。しかしそれぞれの主義、主張の中でうまく折り重ならず、必要な時に助けてやれることができなかった。そして向こうもそれを望んでいなかった。複雑である。一言で片付けられるような、そんなつながりではない。あえて言う、亡くなった人は美しい思い出だけを残していく。だから、星になるに等しい。その炎がいつまでも心の中でともっていることを感じつつ、私もまた星への道が刻一刻と近づいていることを感じずにはいられない。

まもなく、母の命日だ。今年もまた雨が降るのだろうか。そうだとするならば、僕は空を見上げ、雨粒を顔に浴びようと思う。生きる事は美しい。しかし、美しさの代償に様々な影を背負っている。そしてまた、それが人生の宿命なのだと思う。

月に吠える。
そんな1日があってもいい。
幼くも、老けてもいない僕が、亡き母の美しい横顔を思い出し、その移ろいを懐かしむ。人には誰でもそんな1日があるものだと僕は感じる。

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