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引き寄せの法則というか、むしろ真逆のお話…


久しぶりに自分の忘備録として訳しておきたい動画があったので、記事にしてみます。。

正直「死んだあと、望みを何でもすぐに現実化する方法を教えられた男性」みたいなタイトルに釣られました。。

でも語られているのはそういったお話ではないです😅いわゆるclickbaitではないのか…(と思ったらやはりコメント欄に「clickbaitやめろ😠」的コメントがいくつかありました…)

とにかく、訳の間違い等あればご指摘のほどよろしくお願いいたします。。結構意訳です。。

基本的に忠実に言葉通り訳そうとしてるので、割と文章のまとまりがないかも知れません。予めご了承ください。。


こんにちは、イシュタールです。これが起きたのは僕がまだずいぶん若い頃です。自分としては十分大人だと思っていましたが、当時また13歳でした。

とにかく、そのとき僕は腕を骨折したため野球の試合に出られなくなるのではないかと心配していました。それから僕は母と話していて、何かの感覚がやってきたというか、なぜか「ママ、もうすぐ死ぬの?」などと口走ってしまったんです。

そんな事を言ってしまって自分でも少しショックだったのですが、翌朝、ベッドから転げ落ちそうになりながら起きると、ランニングしてきた後みたいに息が苦しくて、まるで抜け出していた魂が体に駆け込んできたかのようでした(意訳です…)

それで、母と父が僕のベッドルームのドアのすぐ外にいたので「伝えなきゃいけない事があるんだ!」と言ったんです。でも伝えるべきことを思い出せなくて混乱していました。なので両親は麻薬中毒者みたいになった僕を落ち着つかせる必要があったんです。

2〜3分してようやく正気に戻ったあと、両親は出掛け、僕は終業式を翌日に控えた学校に行き…6月の上旬だったけれど…それから帰宅しました。

母と僕は姉を車に乗せて、町のはずれにある彼女の新しい職場に送り届けました。そのあとで、何か言おうとして母のほうに頭を向けたとき、まさに母の側の車のドアに、古いリンカーンのタウンカーみたいな、大きく幅広いグレーの車が衝突しようとしているのを目撃したんです。

その瞬間、恐怖を感じる代わりに、僕の頭に2つの思いが浮かんでいました。1つは「最悪だ」という気持ち、2つめは、身構える代わりに完全にリラックスして、うーん…でもこの人生は13年よりもっと続くはずだ、という考えでした。

そして人生がまだ続くはずだと思ったあとに、これまでの人生が走馬灯のように目の前に現れました。ひとつひとつの出来事が、細部にわたり完全に、ブーンブーンブーンと、途切れなく逆再生したんです。

興味深いのは、その体験をしていた時、生まれる前に知っていた"意識"とーー普段それがそばにいる(?)時は必ずしも居心地良くはなかった、でもそれに対して嘘をつく事は出来ない、完全に客観的で、全てを見通し無限の知識を持つ"意識"とーー親しげに言葉を交わしていました。

ある意味で、人生を通じてずっとガイドされていたんです。様々な場面を体験する時、その"意識"は「うん、これを見て、そうそう」みたいに。もしあなたが恐怖から行動を選択すると、それに伴って明白な身体のこわばりを感じたり。

そうやって"意識"と話すうち、それまで全く気づきもしなかった、自分の体に張り付いていた非常に窮屈な布製の「緊張」を引き剥がされたみたいに、緊張が溶けて消えたんです。

そしてその緊張の消滅の向こう側にあったのは、広大さであり、静寂であり、愛であり、喜びでした。他にもいくつかポジティブな体験がありました。

それからドーンと左側から衝撃があって、体感として覚えているのは、自分の頭が右側の何かに激しくぶつかって、気を失ってしまったことです。

母と僕は同じ救急車に乗り、救急救命士が僕に質問して状態を確認していました。興味深い現象として、横たわる自分の目から見ている普通の意識と、救急車の上に浮かんでいる意識を同時に感じていました。

母が二回、僕に呼びかけたのを聞きました。「トム、トム」と。僕は二回とも「僕は大丈夫だよ、ママ」と言ったのですが、彼女が一度目の返事に気付いたかは分かりません、でも二回目のものは間違いなく認識していました。二度目に「大丈夫だよ」と言った後、彼女の呼吸が変化したんです。

それまで非常に苦しそうな息をしていたのが、一般的に母親が、彼女の自制力の全てを以て子供と共に生きようとするみたいに、でも僕が無事だと分かったあと、彼女の呼吸は静まって…そのときはそれが彼女と交わす最後の言葉になるとは思っていませんでした。

母の呼吸が変化した後すぐに、救急車の上に浮かんでいたほうの僕は、彼女の何かが去った気配を感じました。でもそのときは、何が起きたのか理解出来なかったんです。

その後病院に運ばれて、母はいくつかのカーテンの向こう側にいて医師たちは彼女への処置にあたり、首の外傷が十分に冷えるまで(?意訳)、僕はストレッチャーで仰向けに横になっていました。

姉が僕のそばにおり、そこへ父がやって来て「お母さんが亡くなった」と言いました。それは僕にとって、それまでの人生で一番衝撃的な出来事でした。

たくさんの人々や物事が関連して人生というものが形作られているので、ひとつひとつの出来事を説明するのは難しいのですが、要するに最も重大な事は、僕が瞑想のやり方を学ぶようになって、言ってみればそれに専念するようになったという事です。

ある日、学校で自習時間に席で瞑想していて、目を開くと奇妙な事が起きました。鉛筆を見つめると、鉛筆の中に僕がいたんです。つまり自己という感覚がもはや自分の頭の中に固定されてなくて、額の数インチ奥にいる小さなナレーターが、頭の中だけでなく何処にでもいる感じでした。僕が鉛筆を見ると、そちら側からも見返してくるんです。

それで僕は「これが悟りというものなの?」みたいな感じで(笑) それで、その効果は消えてしまうのかなと思って、他にもいろんなものを見たんです。テーブルを見たらテーブルの中に僕がいて、壁を見たら壁の中に僕がいて。

それで「OK、人で試したらこの状態から抜け出すかもしれない」と、ちょうどこちらに歩いてきた先生を見たら、僕は彼女の中にいたんです。

この僕の経験から得られた最も注目すべき恩恵は、喜び、平和。。神経症的な雑音…自己判断というか自己批判的な考え…意識的或いは無意識に「自分は十分ではない」とか「最低だ」とか…客観的ですらなく、ギターを上手く弾けないとかそういう話とは別で、根本的に自分の意見なのかも怪しい(?意訳)ノイズが聞こえなくなったんです。

行動の要因になるボタンみたいなものが心にあると思うんですが、それが一晩で消えるんです。それに気付く時と気付かない時がありますが。

僕が初めて瞑想のやり方を学んで、家に帰り、いつものように朝を迎え…実は僕の父はこのボタンを押すのがすごく得意で、不安にさせたりイライラさせたり、以前はそれと分かっていても反応を止める事が出来なかったのですが、その瞑想の練習の翌朝、彼がそのボタンを押そうとしたら、もうそのボタンはそこに無かったんです。すごく驚きました。「あれ?もう反応してない。おかしいな?」って。彼は再度そのボタンを押そうとしたんですが、僕はキョロキョロして「何で反応しないんだ?oh my god!」ってなって。

そういった事が数え切れないくらい起きました。困った出来事や問題の元になるものですね。それが消えてしまったんです。

静寂を見つけること、この時間のない広がりを見つけることが、他の要因が起こるドアを開ける鍵となるんです。

過去も、未来に関する思いも消え去って、小さなエゴという自己にしがみつく緊張感みたいなものが、その時間のない空間に抜け落ちるんです。

深い痛みの感覚を乗り越えること…そうですね、いかなる瞑想でもあなたの神経を深くリラックスさせることが出来ます。それは言ってみれば最高のマッサージを受けるようなものです。身体だけでなく精神にもマッサージが必要で、それによって、それまでずっと抱えてきた緊張感が抜け落ちるんです。

これも数え切れないくらい起きたことですが、深い精神修養(リトリート)をした時、ベッドで瞑想して翌日目を覚ますと、奇妙な、いい意味で奇妙な感覚がして、それまでの人生ずっとジャガイモの袋を持ち歩いていたのにそれが無くなったみたいな、25ポンド(≠11kg)くらい軽くなったかのような、そんな体験を何度もしたんです。そういった癒しが起きるんですね。

多くの人がシャドーワークに関して言及してます。これもとても良い、深い瞑想の練習になります。難しいとか、骨の折れるものであったり、全てに立ち向かう為にこれまで存在した最も勇敢な人にならなきゃいけないとか、そういう必要もなくて、シンプルに、広大なアウェアネスの、それは僕たちのコアにあるのですが、もし他の名で呼ぶとすればそれは「愛」ということになるんですが、その内なる愛に触れたとき、僕たちは安心してリラックスし、これまで押し退けて来たものを手放すことができるんです。

結果的にたくさんの物事が癒されて、多くの人は新しい自身の才能を見出したりします。実はそれは新しいものではなく、いかなる理由であれ子供の頃に何処かに仕舞い込んでしまったものだったりします。

そしてしばしばそういった美しい魂の側面が解放され、再び自分の主要な部分となるのです。これが瞑想の素晴らしい副産物なんです。もっと自分らしい仕事を見つけるとか、もっと直感的になるとか(この辺は結構意訳です…)

巷で言われるいわゆる引き寄せの法則というのは…いくつかの文献は表面的で、浅い事しか書かれていなかったりするんですが…でも確かに、僕の人生に於いてたくさんの物事が現実化しました。

まず言いたいのは、それは「これをしなさい!そうしたらあなたは得られるだろう」みたいなノリの話ではないんです(?意訳)、あなたが欲しいものの事を考えなさいとか、そんなような…(笑)

そうじゃなくて、これまでずっとここにあった、深い、直感的な部分から引き出す事なんです。そしてその直感的な知恵または直感的な方向感覚にアクセスすることによって、更に物事がクリアになり、ブロックが外れていくんです。そしてその流れ、深くて自然な流れにチューニングすると、より物事が簡単になっていきます。

あなたが起きて欲しいことについて考えると言うより、サーファーになるような事なんです。後ろに下がってゆったりして、もっと心地よく、シームレスに、人生という流れに身を任せるんです。

それは実際、巧みに操ることではなく、力ずくでやる事でもなく、もっと受動的になることが、能動的にもなり得るんです(?意訳)

しばしば人生は、静寂の中に座って自分自身の身を引くと、おかしな事が起きるんです。何かを言った途端、それが起きたり。。奇妙な話ですが。

他のネットでのインタビューでよくお話するのですが、僕が修道院風カフェ(精進料理を出すお店みたいなもの?)で働いていた時、何となく「もしお客さんが20人来たら面白いね」と話してたんです。それまでで一番多かったお客さんは8人組で、しかもたった一度、それなのに僕がそう言った直後に電話が鳴り、電話を取ったバーの子がキッチンに向かって「ねぇ!20人のお客さんが来るわよ、準備して!」と叫んだんです。僕は「はいはい、、」みたいな感じだったんですが…だって彼女が僕の話を聞いていてからかったんだと思ったんです。そしたら彼女は「ふざけてないわよ、早く準備して!」と。僕らはoh my god!ってなったんですよ(笑)

彼女がそう言った後もまだ信じてなくて、でもカフェの窓の外に目をやると本当に20人ほどの団体がお店にやって来るのが見えて。

僕はパニックになるより寧ろ静寂の世界に没頭して、より深いところにあるギアを入れ、20人分の料理を作ったんです。まず五種の前菜を、そしてオーダーを受けてから殆どの料理を5分以内に提供しました。キッチンは2人で回していたのですが、どうやってそれをこなしたのか覚えていません。

ドリンクを作るより早く料理を出さなくてはならなくて、キッチンの者がウエイター役もやって、なのでゲストは寧ろショックを受けて「ちょっと、この料理は作りたてなの?」と訊いてました。あんまりにも提供が早かったので(笑) 「もちろん出来立てですよ!」と言ったら「あ、、そう」と言ってましたけど。

そして彼らは多額のチップを置いていってくれました。シャクティか何かが突然僕らのカフェを訪れたみたいな日でした(訳註:シヴァの神妃のシャクティに関してそう言った神話の類があるか見つけられませんでしたが…)

そうやって口から飛び出た言葉が現実になる傾向があるんです。それは(訳註:ワンネス的なものでない)分離した小さなエゴが「あれが起きて欲しい」と望んでも無駄で、大文字のSELF、無限の自己(訳註:ハイヤーセルフとか、よりもっと大きな存在の自己)の感覚の中にリラックスして、それらの出来事が自分の内から流れ出すのを許すみたいな、そんな事だと思います。だから、僕にとってそれはサーフィンみたいなものなんですね。

あなたは単に個人としての人間なだけでなく、同時に全ての物であり、全ての人なんです。あなたは無であり全てであって無限のものなんです。特定の名前や身体を持った個人として比較的(?)幸福な生活をするための鍵となるのは、無限のキャパシティを持つ"意識"と親しく関わる事です。あなたがそうすればするほど、人生がより拡張して行くんです。

もしそうしたいなら、時間を無駄にしないでください(笑) "意識"との繋がりを、ハートとマインドと身体と魂を捧げて確かなものとすれば、あとは簡単です。

みなさんありがとうございました!



18分くらいの動画なのに、この方がわりと早口なので案外量が多かった…w 臨死体験というより瞑想から得られた知恵のお話という感じです。

この方のペンネーム?がイシュタール(シュメールの女神)だったりした時点で、スピ系に眉唾になりがちな方だと、なんか厨二病な話だなって身構えてしまうと思うんですね。でも語られているのはアラン・ワッツとかアニータさんとか、そういう方々のお話と繋がるものがあります…(どっちにしてもスピかw)

引き寄せの法則って、特に苦しい境遇にいる人間には魅力的な言葉なんです。「自分がなりたいイメージを超リアルに感じてください!そうしたらそれが現実化するんです!」みたいなの。なんかもう完全にビジネスですよね…「これを読めばあなたも大金持ちに!」なんていう商材あって、買ったらたったの1ページのPDFに「『これを読めばあなたも大金持ちになれる』と言ってこのPDFをたくさんの人に売り付けてください!」って書いてあったみたいな、そんな話と大差ないというか。

多くの臨死体験者が言うようにこの世が夢で、本当の自分というのは無限の全てであるものだとしたら、どんな体験も新鮮で貴重なものだと思うんですね。意図的に小さい分離した"自分"というものを演じて、大いなるSELFには味わう事が出来ない感覚を経験してるわけです。だからどんなに最低な出来事もSELFにしてみたら喜びである可能性は否定出来ないですよね…

そう考えると引き寄せの法則なんていうみみっちい話してるのがアホらしくもなってきます…😅

まぁ…苦しくて仕方なくなった時、一歩引いて「ちょっと待て、これは夢だぜ?」って正気に戻る事が出来たら、一喜一憂する世界から自由になって、荘子や老子の世界みたいにもっとゆったり生きられるのかも知れないですね…