自分のための覚え書き。再び。
ここ最近ずっと落ち込んでいました。元々、家族が(特に母親が)わたしのやることなすこと全否定していた為に自己肯定感が皆無とか、それに付随して対人恐怖症であるとか、そういう問題があって仕事も長続きせず、お金がないと更にメンタルが削られてしまって。。
昔から早く死にたいと思っていたのに死ぬのが怖くてこうしてだらだらと生きていて。。
こんな性格なのでともだちと呼べるような人も殆どいないのですが、先日その数少ないともだちの1人に今の苦しさを聞いて欲しくて、つい連絡を取ってしまったのでした。
ところが彼女が「前世からのカルマの持ち越し」と言った時に、責められているような気分になって余計に打ちのめされてしまい。。自分が前世で悪業を為したので今生で罰を受けている、そういうニュアンスに捉えてしまったのです。
彼女はそんなつもりで言ったのではなかったのかもしれませんが。
でも正直、自分は世間一般で認識されているカルマという、因果応報的な考えは違うのではないかなと常々思っているのです。
これは以前にも引用したものですが、チャネラーであるジェームズ・ヴァン・プラグさんの何かの本に書かれていたものです(タイトル失念しました…)。彼の友人が臨死体験したときのお話ですね。
多くの臨死体験者が、全ては繋がっていると言います。我々はひとつの魂を共有するのだと。だとしたら、誰の徳が高いとか低いとかは無意味な発言のように思えるのです。あくまで、全てはひとつであるというのが真実であれば…という話にはなってしまいますが。
よかったら、以前訳したレイモンドさんの臨死体験のお話を読んでみてください。
スピリチュアルの世界でも、よく量子の話が持ち出されます。自身の身体をよく見ると、細胞、分子、原子、量子…とだんだん小さくなって、量子というのは粒なのか波なのか紐なのか、エネルギーなのだと言う人もいるし、わたし自身専門家ではないので詳しくは分かりません。ただ身体が本当はスカスカなんだってよく言いますね。
どうしてこんなに身体がスカスカなのに外の空気と混ざらないのか?どうして自分の思考は自分の頭にだけ浮かんできて、他人の思考は分からないのか?不思議ですね。
でも境界があるからこそ、違うからこそ、自と他を認識出来る。黒い紙に黒いペンで絵を描いても見えないけれど、白い紙に黒いペンで描けば見える。違いがあるからこそ見ることが出来る。この違い/境界は「自分」という物語を体験する為に便宜上設けられていて、死ぬときは消えるのだと思います。「分離の幻想」などと言いますが。
無限の可能性であるものが一時的にさまざまな変化をして、あらゆる事象を経験している、それが命というか魂というか神なのではないのかなと、そう思うのです。
わたしのように鬱で自分を無価値だとか全否定してしまう人に「あなたは全てと繋がっていて、今は『あなた』という物語の主役として生きているわけだけれど、ユニークで、かけがえのない生を生きているのだから、他人の物語はその人に任せて、あなたは自分を心からしあわせにする生きかたをしたらいいのでは?」という事を伝えたくて、なんだか勢いで書き始めたこの記事ですが。。
具体的にどうしたらいいか、それは分からなくて大変申し訳ないけれど、でも自分を否定しないで欲しい。あなたは大きな大きなひとつの魂である神とひとつなのだからと。そう言いたかったです。。
世の中の人が良かれと思って様々な意見を言うので混乱しがちです。ですが自灯明という言葉があります。仏陀の言葉で「自分自身を頼りとすること」という意味です。他人の言葉に振り回されず、自分の心に従ってください。