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【同意について】「家に来た=性行為OK?」から考える

Xで「上田と女が吠える夜」というテレビ番組の切り抜きを見た。

もともと良い印象のない番組だったのだけど(女性同士がいがみ合う構造を作り出して「女って怖いよね」を無理やりエンタメにする番組という認識をしていた)今回の内容は素晴らしいなと思った。

相手が家に来た=性行為OKという意味だと考えるか?」という質問で男女の統計をとったところ、YESと答えた男性は82%、女性は34%だったというデータが提示される。

このデータを見て色々意見交換がされ、とくにこれに対するsherryさんと上田さんのやり取りが非常に印象的だった。

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上田さん「男性は女性がこう思っていると知らなきゃいけないし、女性も男性がこう思っていると知らなきゃいけない

sherryさん「それは間違っていて、それだと大前提として『男性は襲う生き物』だと言っているようなものだ

上田さん「『男性はそう考えちゃう』ってことを女性も理解したほうが、暴力にあわない

sherryさん「『女の子もそう思っててね』っていうメッセージが、被害に遭ってしまった人たちを苦しめる『家に行ったあなたが悪い』ということにもつながる

上田さん「悪いということはないんだけど、これ以上被害を増やさないためにってことなんだけどね」

sherryさん「被害を増やさないために、加害者にならない教育が必要

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冒頭の上田さんの「男性・女性両者が、お互いにどう考えているのかを知る必要がある」という意見は、一見きれいで分かりやすい。「まぁそんなものかな」と思いそうになる。

けれども後に続くsherryさんの意見は「そもそものベースラインの設定は適切で公正なものか?」という非常に重要な、前提について考えさせてくれるものだ。

そうだよなぁ、たとえばセクハラだって「被害に遭わないように気をつけるような教育」じゃなくて「加害をしないように気をつけるような教育」をしていくのが適切なアプローチだよな。

これもきっと同じ構造で「性行為OKだと考えるか?」だとすごくフランクな問いに思えるけど、表現を変えれば「性行為に対する同意があると勘違いしている数」がどれくらいいるのかという話であるからな。そして「同意」のない性行為は犯罪である。

同意」という概念ははっきりしたものだから、なんでもぼかしがちな(それを美しいと感じがちな)日本人には馴染みにくいのかもしれないけど、これは性行為の場面だけじゃなく、もっと本質的に「自分の意思と身体が自分のものであるということ」なんだと思うんだよね。

NOと言ってもそれを受け入れてもらえるという実感があること、NOと言われても自分の存在を否定されたわけではないと理解できること。これはわりと自尊心とか人間関係の本質なんじゃないかと思っていて、まさに「尊重」とか「リスペクト」の核の部分な気がする。

Xでは、その後コメントや引用で「男性VS女性」な構造をたくさん見てしまい非常に不快な気分になった。そういうことじゃなと思うんだけどなぁ…。

やっぱりこのあたりは、感情を抜いて説得的に構造を整理できるようになりたくて、一回しっかり学んでみたいなぁと思った。悪意のない上田さんみたいな意見に、感情論ではなくナイフを入れられるようになることは、自分のアイデンティティを守っていくためにもきっと良い影響があるはず。

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