ゆるゆる日記(2024.10.03)
今日の日記はギリで「ゆるゆる日記」と名付けた。精神状態はイマイチである。下り坂、ダウナー気味、ふとしたときの虚無感。
先週の金曜日から、ほとんど仕事をしていない。メールを数通返しているくらい。昼過ぎに起きたときからなんとなく焦燥感があって、でもこれで回ってるっちゃあ回ってるんだからいいじゃんか
。(メールだって返してるんだぞ‼️)休みには理由と正当性が必要なのか?それならば今日までを「秋休み〜親しい人間との関係性を深めること・そのための休養を目的とした時間〜」とします。なぁ、これでどうだ!?
きのう帰りの電車の中で「今年の残りが3ヶ月だから、今年中にやりたいことリストを作ったら面白そうじゃね?」と思いつき、付き合っている人間も一緒にやってくれることになった。
帰り道にやりたいことを考えて「noteの投稿あと30個くらいはしたいな」とか「短歌30個くらいは作りたいな」が最初に出てきた。この間、投稿を始めて300日くらいで「これで100投稿目です⭐︎」と通知が来た。つまり、3日に1回のペースで書いていたわけだ。
冷静に、かなり書いているよなぁと思い、せっかくだから記念に(記録として?)自分が書いた文章をまとめて本の形にしようと思いついた。エッセイ集(日記集)みたいなものと、短歌集をつくる。今日は、年末年始あたりに書いていたものたちを編集していた。やはりある程度「57577」の型に流し込んで、あとから見て「カッコつけすぎ」「ありきたり」と思うものは言葉を変えて、という作業をしていた。きれいに整えすぎてもよくないだろうし、難しい作業。でもすごく楽しい。
結婚式と旅行で使った「写ルンです」をカメラ屋さんでデータにしてもらってきた。ある程度明るい室内でも、フラッシュたかないとあんなに暗くなるんかい!!!
《覚えておくこと》
・写ルンです以外のフィルムカメラたくさんある
・写ルンです撮るときは、基本フラッシュをたく
まぁ、写真の出来は三角だったのですが、フィルムカメラすごくいいなーと思った。スマホで写真を撮るよりも、「撮る」って行動と写真が結びついてる感じがして、ライブ感があるというか、写真を見たときに「シャッターを切った時の気持ち」がありありと思い出される。
SNSで見て気になっていた本『酒をやめられない文学研究者とタバコをやめられない精神科医が本気で語り明かした依存症の話(松本俊彦さん・横道誠さん)』を読み始めた。しょっぱなから無限に面白い。
依存症と判断されるラインは、文化や環境の影響を大きく受けている。
→親が子供を「ゲーム依存症だ」と言うのは、その対象が「ゲーム」であるからで、もし「勉強」であれば問題視しないのでは?
たとえば現代社会は「ワインはキリストの血」とするアルコールに寛容なキリスト教文化に大きく影響されている。自己治療仮説=アディクション(依存症)は快楽に溺れるためにではなく苦痛から逃れるためにハマってしまう
いま「宗教」の話が出てきていて、宗教についてもう少し考えたいなというか、その不思議を感じることが多くて、人のメンタルについて「奇跡」のような効果を発揮することがあるよなって思っていて。「安全な依存先」になるってことなのかな。
この本面白いです。依存症までいかなくても「依存」に悩んでいる人にすごくおすすめ。専門的な話を、分かりやすく個人的に面白く書いているという点も押しポイントです。(わたしもこういうことがやりたいと思った。違う専門性の人とワンテーマもうけて往復書簡やりたい。)
お金を払うっていうのは、単なる「出費」という意味合いだけでなく、なんとなく意思の表明の意味合いも含まれるんだよな。「この事物にこの値段分の価値があると思っているよ」「納得しているよ」っていうような。
「リスペクトしている」ってはっきり言い合える関係性っていいよなって思う。リスペクトしていなかったら言えないもんな。
最初に声を聴いたときからピンと来て、そのあとも仲良くしてもらっていて、ずっと「心地いいなー」と思っている人がおりまして、わりと年上の方なんですけど、5分くらい電話したら、一人で煮詰まっていたのが解消された。すご。すきだなあーーー
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