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最近のブレイクスルーまとめ【メモ】

ここ一週間の間に記したメモを見たら、今の自分の数歩先をいっていて「これは忘れたくないなぁ」と思った。備忘を兼ねてここに書き残したいと思います。

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・知らず知らずのうちに「明るくあらねば」と思ってしまっていたらしい。

・私にとって「明るく」=ポジティブな感情表現やリアクションを積極的にとること。「なぜそう振る舞うのか?」と聞かれて「ポジティブな感情表現をすると相手が喜ぶから」と言うと「なるほどね、相手が喜ぶと思っているんだね」と言われた。カーンと軽いもので頭を思いっきり殴られたような気がした。相手が喜ぶと「思っている」だけなのだ。本当に喜んでいるかなんて分からない。「相手がその場でどんな反応をするか」をあまりに気にしていた。

・「ナチュラルでいよう」と思って出来上がる自分は「ナチュラルとはまた違う何か」である。

・同様に、日常で「何もしないでいよう(『無』を作ろう)」と思って過ごしても、やはり「きちんと有」が生まれてしまう。今回は「何もしないでいよう」と思わなかったからこそ、そして色んなことをしたにもかかわらず、なんとなく「無」が生まれたという感覚がある。本当に不思議。

・キーワードは「ゆるめる」な気がする。

・他者の敵意をスルーするみたいに、他者から向けられる好意もスルーしたい。今まで受け止めようとしすぎて、好かれるたびに頑張ってしまっていた気がする。自分に対する好意の空気は放っておいていいし、放っておいたほうがいい場面ってたくさんあるんだろうな。はっきりした形のはっきりした色が並んでいなくても、相手の「好意」にひっぱられず、目をつぶって自分をここに置いておくのも、本当はすごく大切で。そうして生まれる色とか、ゆるやかな景色が見てみたいかもしれない。

・相手と目が合わないのだって、私の責任じゃない。私が気にすることではない。自分に変えられる世界はほんの少しで、それ以上に手を伸ばすとそれは逆効果で、ゆらめいていた世界を乱すことになるんだ多分。

・「知りたいことを知りたい」

・「みんなと全然違うっていうのも、独自のセンスがあるってことだから、いいこと」

・「物があると思い出せる」
→自分が文章を書くことでやろうとしていることの重要な一部は、これなのかもしれない。そのときの空間と、そこに生まれた自分の感情を冷凍して取っておきたい。

・言葉以外のもので自分を表現するのって、すごくいいなー。

・虫を嫌いな大人が多いから、虫を嫌いな子供が増えている。

・朝起きて窓を開けたくなった。いつもみたいにスマホの通知を確認するのはもったいないから、ノートに向かいたくなった。「特別な一日」とか「もったいない」は何がきっかけで、そう思うのだろうか?(前日の充実感?環境の違い?)

・自宅でも普段から「栓が外れる時間」を作りたい。受け取れる状態であるためには、どうしたらいい?必要なのは、良質な刺激

年齢、性別、職業などで同質性がそろわない方が「場の重心が下がる」というか、クリエイティブが上がる気がする。つまり、色んな人がいる方がいい。(個々の質が高いことを前提とする/「質」=透明性の高さ、どれだけ内省的か?)

・自分に必要だったのは「身体性」(自分の身体が一緒にここにあることを実感すること?)なのかもしれない。身体が精神に振り回されている感覚があって、精神と身体のバランスを取るために自分の内容をどうにかしようとしていたけれど、多分「身体」からアプローチするのが早い。

・中学の英語の教科書で「健康な身体と健康な精神は手をつないでやってくる」的な言葉を見た覚えがある。古代ギリシアで言われていたとかいう文脈で…。

・小さい頃アトピーだった(今も肌は弱い)のって、身体性の低さに関係ある?肌から意識を遠ざけようとしているみたいな…。

・まだ均一化にとらわれている。自分の能力をならしたいと、どこかで思ってしまう?

中庸は逃げ

・「組織が苦手」とか「人と一緒に何かができない」はこだわるべき点ではないのかもしれない。問題の本質は少しズレた場所にありそう。

・「自分は天才だ」と言うのと「自分は全部ダメ」と言うのは、ディテールから逃げている点で同じようなもの。

・ある母体の上位数%にいることをアイデンティティにすることは、すごく薄くて、すごく危うくて、全く本質ではなくて、それは常に結果論であるべきで「付加物」であるべきなんだ。と、春樹の『職業としての小説家』を読んで思った。

・「すごいね、優秀だね」と持ち上げすぎるとその人を縛ることになる。「評価の固定」はよくない。模範解答が聞きたいんじゃなくて、その人の中から湧き上がるものが見たいんだよなぁ。どんな角度からアプローチできるんだろう。どう壊すか、どう崩すか。

・少し前、大学から仲のいい友達に「きみらと食べるご飯はなぜか美味しい」という話をした。「わかるー、美味しいよね」「一緒に食べる人によって、マジで味が違うよね」と返ってきた。ほんとにそう。一緒に食べるとご飯が美味しい人/人たち、いつもより味がする人/人たちがいる。リラックスできているってことなのかな。

・謎に距離感近い人からの誘い二つ、ようやく返信できた(断れた)!LINE溜めてるのすごいプレッシャーだったけどさ、会いたくない人からのLINEを長いことためてるのって、わりといい戦略なんじゃない??嫌がってることが伝わりそうだし。

・断ることに体力を使ってしまう。もっとテンプレとして、業務的に断りたいな。断る文言を、予測変換で出てくるようにしようかな。

・なぜ年下が好きなのか?「年齢は上だけど後輩」はどうか?

・距離感の不自然さって「呼び方」に出ると思う。コミュニケーションが上手な人は、無理に呼び方で距離を詰めようとしない。

・その人の導く帰結が「綺麗事」だと思ってしまうとき、だいたいの場合、そこには「論理の飛躍」がある。その「綺麗事」が自分のものになった過程を(ある事実が「綺麗事」にあたると思った過程を)、聞き手が納得する形で解像度高く説明できていないのだ。言葉に敏感な人からすると、「綺麗事」を「綺麗事」のまま提供することは、もはや暴力である。解像度高さもしくはユーモアが必要。

・「きれいごと」と「宗教」って、思考に枠をつけるという点で、似ているかもしれない。

・口先で言ってるだけじゃなく、裏側に実像を持っている人がいいよねぇ。

・誰が相手であっても、自分が「レベルを落としている/手加減している」と思ってしまうような会話は本当はしたくない。「違うんだけどな」と思っていても、これ以上深いところまで掘り下げると困った顔をされそうだなと思って「そうだよね」と言ったり、そういうのほんとはしたくない。もう黙っていようかな。頷いたりもしない。思ってもないことを言うと/リアクションをすると、すり減っちゃう。

・でも、小学生相手ならどう?言葉のレベルは数段階下げているけど、不快な気持ちにはあんまりならなくね?条件はなんだ

・自分の意見を「楽しく言う」スキルって大事だよな。わりとみんな議論すると「楽しい」って思うらしいし。「こんな深い話、久しぶりにした〜」とか言われて、こったは浅すぎて気を失いそうになってたよ、みたいなことはよくあるけど。いやでもそれは、普段からどれくらいそのことについて考えているかの差であって、わたしが深めてあげればいいわけだからね。うう、深めて「あげる」という視点がエゴい、でも、そのモチベでいい気がする。

「私の考えはちょっと違って」「違うかもしれないけど」「持論いいですか?!」(明るく手を挙げて)「はいっ!」
このへんで自分の意見は言ったほうがいい。相手に伝わるか、ではなく、自分を守った(嫌だと思うことを自分に強制しなかった)と自分に思い知らせることが重要。

・「これってすごく良いよね」という話をしたのに、いつの間にか「良い」じゃないものを批判しているということがよくある。「良い」を抽象化して「良い」の条件を決めて、雑に線を引いて、その外側にあるものを批判するのだ。ただ「良い」と思ったものを「良い」と言えばいいのに。ほんとはそう言いたい。

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