「若いねえ」は褒め言葉ですか?
今の職場はスタッフの大半を学生アルバイトが占めている。相対的に私は年長者だ。最年長ではないにしても、19歳の少年少女からすればそんな違い、どうだっていい。
相対的に年齢を見るのは好きじゃない。じゃあ絶対的な年齢はどうかと言われると、それは身分を証明する上で必要なので、持っていないければならない数字だと割り切っている。
23歳を過ぎた辺りで、自分が何歳なのかなんて、どうでもよくなった。同級生の誕生日につい「いくつになったの?」と訊いてしまう。
年齢なんて、ただの数字だ。若いとか老いてるとか、そんなに大切なのだろうか?そんなもの、自分で決めればよくないか?と本気で思っていた。
先日、大学一年生だというバイトちゃんと、職場外で個人的に話す機会があった。彼女はその間ずっとスマホをチラチラ、いや、チラチラなんていうレベルじゃない。カンニングが無いよう目を走らせる試験官よりも鋭い眼差しで、画面を睨みつけている。
常に誰かしらにメッセージを送っている。失礼は承知で画面を盗み見ると、そこにはインスタのストーリーズが表示されていて、いちいちコメントを残していた。フォロワーは3,000人以上いるらしい。なんとまあ忙しない。
画面の向こう側にメッセージを送り続ける手を休めることなく、彼女は私にプライベートな相談トークを展開している。やれ大学の課題が大変だの、やれ時給が低いだの、オーバー気味にピンクのリップが塗られた唇は閉じることを知らない。なんとまあ器用な。
人が話している時は、目を見て、しっかり話を聞く。とか、そんな当たり前のマナーすら通り越している。だって、話している本人がこちらを見てくれないのだ。悲しい気持ちになる。とても。
「今の子って、みんな、そうやってインスタを監視しているの?」
「え??? みんな普通にやってますよ!」
「どうして?」
「え〜??? 見落としたら嫌じゃないですか〜!」
「大変だねえ。疲れないの?」
「え〜!?!?!? 疲れませんよwwwww」
そこまできて、言ってしまった。ついに言ってしまった。
「へえ、若いねえ」
普段あまりテレビを見ない私ですら、テレビをつけるとZ世代を代表するらしき若い子が「最近は〜」「これバズってて〜」と豪語してる姿を見かける。豪語するZ世代に対し、周りの大人はみんな「若いねえ」と目を細めている。
そして気づいた。一昔前の私も「若いねえ」と目を細められる立場にいたわけだが、この「若いねえ」が決して褒めている訳ではないということに。
若いねえ、何も知らなくて。
若いねえ、怖いもの知らずで。
若いねえ、若いねえ、若いねえ、若いねえ。
本当に心の底から「若さこそ至高、若さこそ偉大」と考える大人もいるだろう。そういう人たちは、老いに対して異常な恐怖を抱いていることが多い。
きっと若い頃に「若い自分サイコー」と思って過ごしていたのかもしれない。若さが通り過ぎ去った今、誇れるものが何もないのだろう。あるのは、ただ、老いていくことへの恐怖。
確かに、若いからこそ持っているものもあるよ。
有り余るほどのエネルギー。底知れぬパワー。健全な肉体。健康な精神。好奇心。野望。熱望。期待。夢。夢夢夢夢。いろんなことを凄まじい速さで吸収し、膨大なエネルギーとして放出できる可能性。
年齢を理由に制限をかけることだって少ない。「まだできないこと」はあっても「もうできないこと」はそんなに無いでしょ。
年を重ねていくと、今言ったことが、結構できなくなる。
だからと言って若さだけに価値を見出すと、いつか若くなくなった時、自分自身になんの価値も見出せなくなってしまう。若さは魅力だけど、それが全てだと思うのはあまりにも危険だ。若いということは未熟であることと、ほとんど同じことなのだから。
私が高校生や大学生だった頃、大人たちに「若いねえ」と言われることが好きではなかった。まだまだねえ、と言われているような気がして悔しかったのを覚えている。若いねえ、まだまだねえ、もっと頑張りなさいよ。
相手のことを、否定はしたくない。そういう文化を持ち、そういう背景で育ち、そういう時代を生きている若者なのだ。私とは何もかもが違う。
だけど、認めるのもまた、難しい。私には理解できない。理解したくない。理解できなくても、何にも困らない。
そういう時につい、言ってしまうのだ。
「若いねえ」と。
なんて言っている私も、人生の大先輩から「若いねえ」と思われているんだろうなあ。
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