マチネの終わりには見れない運命だと思った話

誕生日の前日の夜、映画、マチネの終わりにを見ていた。前は見れなかったけど、今日は全部見れそうだぞーと集中し始めたところで、珍しく父から電話がきた。

父から電話が来ることなんて滅多にない。
嫌な予感。

「ちー落ち着いて驚かないで聞いてね。」から始まった。

父の話はいつも結論から言わないから回りくどい。「これって〇〇ってこと?で結論は?」といつもつっこむのだけどこの日ばかりは、大人しく「うん。うん。」と聞くしかできなかった。

要約すると、母の調子が悪いらしい。
そして、精神的にもまいっているようで、うつ状態になっているとのこと。何をするにも億劫、色々言われると訳がわからなくなってしまうなどうつの初期状態みたい。
今度大きな病院で検査を受けるとのこと。

「倒れたかと思ったよー生きてたならよかったよー」なんて言ってみたけど、父と母2人の生活で大丈夫なのだろうか。不安しかない。2人で1人みたいな所があって、お互い支え合いながら、おとぼけかましながらなんだかんだ元気にやっていると思っていたから正直びっくりした。夏ぐらいからゆるゆると母の調子は悪くなっていたらしい。

甥っ子交えながらLINE電話でやりとりしてたのに一言も言わなかったな。そもそも気づかなかった自分を少し恨んだ。

母と電話を変わる。
「ごめんね。話うまくまとめらんなくて。お父さんに言ってもらったよ。」
呂律があまり回ってなくて、弱々しい声。

いつもは、厚かましいしくいい年してきゃぴきゃぴしててぐいぐいくる母。「あーはいはい」と反抗期の中学生な気持ちで聞き流してしまいたくなるのに、そんな面影もないほどの声。人間って不思議なもので、あんなに嫌だなと思っていたとしても、もう聞けないかもしれないと思うと、また聞きたいと思ってしまう。なんて我ままなのだろう。

「ごめんね。ごめんね。」と何度も謝る母。
「何も謝るようなことしてないよ」と私。
「言おう言おうと思ってたんだけどね。伸ばし伸ばしになっちゃった。」と母。

正直、近くにいるとぶつかって、面倒だからと距離をとってきた私。

こないだ甥っ子の七五三であったのに、ちゃんと話をしなかったな。そんな娘でごめんねと私が謝りたいぐらいだった。

「お母さんの介護は私はできないよ。一緒にいると共倒れになる。」と泣きながらつっぱねたこともあった。でも、いざ、こうして具合が悪い姿を見ると、心配になるものなのだなと。

いつも誕生日には、母からLINEのメッセージが来る。毎年毎年、必ずきていたメッセージ。今年はなかった。

欲しかったとかそうゆうわけじゃないけど、変わらずあると思うものはいつかなくなるのだと。当たり前に思っていることは、当たり前じゃないのだと。大切にしておけばよかった。

立ち止まるととにかく泣きそうになる。

うじうじしていても何も始まらない。
自分がやれることを、自分の住んでいる場所からするしかないのだ。

そんな時にリトルトゥースの方々とのやりとりは癒しだった。癒しって言葉なんとなく安っぽくて嫌いだけど、ぴたっとくる言葉なくて。思わず使いたくなるくらい。

いつもと変わらぬ、そこにいけばある関係の心地よさ。

「何十年後ここの関係はどうなっているかね。」なんて話出たけど、その時は黙ってたけど、関係はどんどん変わっていくとは思う。心地よい場所はそう長くは続かない。

でも、もう少しこのままの関係が続いていきますよーに。

期待はするな希望は持てだな。

後なんだかんだで子どもたち。
本当に彼ら彼女らにはエネルギーをもらえる。仕事が楽しいって素敵。

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