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ネイルからはじめよう〜すり減った勇気を取り戻したい、という話。

気づいたらずいぶんとnoteから遠ざかっていた。
なにかを書きたい気持ちはあるのに、いざ書こうとするとなにを書きたいのかわからない。
もやもやした気持ちを抱えたまま、書けないことに甘えて、ずるずると過ごしていた。

思えばそういうことが増えました。
例えば、あれが欲しい!と思っていたのに、いざ実物を手に取ってみると「似たようなの持ってるし」「どうせ使わないで肥やしになるだけでしょ」と理屈をつけてブレーキをかけたり。
衝動買いしない、持ち物を増やさない、無駄遣いしない…という意味では良いことだ。

ーーでも、ほんとにそれでいいの?

なんだか自分らしさがしぼんでいくような感じがしていた。

そんな時に出会ったひとつの文章がある。

“無駄だから買わなかった500円のネイルは、確かに500円の出費を抑えることにつながりますが、わずか500円で買える「あなたの心が認めた芸術」を見逃したということでもあります。
買う、買わないが論点ではなく、心の欲する表現を無邪気に手を伸ばさない事で失われることがある、ということです。”

『自分のことを考える獅子座の新月』ムーンプランナー

この文章を読んで、すっと腑に落ちた。
今、私は『停滞』している、と。
アクセルをふかしつつ同時にブレーキを踏みしめ、
必死に前進しようとしているけれど、重たい泥の中でもがいていて、
スピードを上げて走っていたつもりなのに、見える景色はまったく変わっていなかった。

何かをしたい気持ちにブレーキをかけることを繰り返し、自分の勇気を小さく小さく削り取ってきたような気がする。
そうやって少しずつすり減ってしまった勇気は、いざという時になるとおじけづいてしまう。

この夏、私はとあるチャンスをふいにしてしまった。
自分にはできないかもしれないと怖くて「やります」のひと言が最後まで言えなかった。
「失敗してもかまわない」と腹をくくる勇気もなかった。
そして、それを悔しいと思うことすらあきらめた。
「自分はそれにチャレンジしたくなかったんだ」と思うことで、おじけづいた自分・勇気を出せなかった自分・あきらめた自分を正当化した。

自分の欲望をすり減らした結果がこれだよ。
そのチャンスを受けていたとしても活かせたかどうかはわからない。でも、少なくとも自分の可能性の道を自分で閉ざしたことには変わりない。

今日、ネイルをひとつ買った。
「こんな色、仕事にはして行けないから」
「買ってもどうせ塗らないでしょ」
「塗り直したり落としたりするのめんどくさいじゃん」
今日までそんな言葉で、眺めてはあきらめ、手に取ってみては戻し…を繰り返していた。

でも、それは今日でおしまい。
自分の勇気を小さく削ることは、もうしない。

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